クルクリ世界遺産note 始皇帝
さて、前回『シルクロード』の旅で『始皇帝陵と兵馬俑坑』にも立ち寄りましたが、個人的にもここはもう少し深掘りしていきたいところ。
今回は始皇帝をテーマに旅していこうと思う。
クルクリと始皇帝との出会いは漫画『キングダム』でした。この夏は映画『大将軍の帰還』も激アツですね。
キングダム
「前221年秦が中国統一、始皇帝誕生」30年以上、クルクリにとって始皇帝とはこの1行で語れるものだった。
40代後半に差し掛かっての『キングダム』との出会いは、その1行に命を吹き込み、クルクリの人生観を大きく変える衝撃をもたらした。
中華統一を果たさんとする若き王。その王の矛となるべく天下の大将軍を目指す少年。物語はこの2人を主人公として描かれる。
しかし、彼らが成長しながらラスボス倒してグッドエンド!という単純明快、勧善懲悪の物語ではない。
「国を一つにして戦をなくす」という主人公側の正義に対して、常に真っ向から「否!」を突きつけて物語は進んでいく。
キャラクターの生い立ちに基づく正義のぶつかり合いは、決して善vs悪にならない。それぞれの想い描く世の有りようには全て説得力があるからだ。
その正解のない世界で、主人公は敵と味方の垣根を超えて、散って逝く者の怒りも願いも丸ごと引き受けて歩み続ける。
そんな信の言葉は、まさに「飛矢の如く」どこまでもまっすぐに心に突き刺さる。
史実として戦や人物の結末を知ってはいるけれど、そんな知識を遥かに超えて心揺さぶられる物語が『キングダム』である。原泰久先生は天才です!
殺して奪った世界のその先に、本当に光はあるのか?この物語の結末を、なんとしても見届けなければならない。長生きせねば!
戦争とは過去の出来事でも他人事でもない。どの時代にも、誰もが考え続けなければならないテーマ。常に自分を疑い続けなくてはいけないテーマ。エンタメの中にも、そんなことを考えさせられるクルクリバイブルの中の1作である。
はぁはぁ。熱くなりすぎてしまいました。
すみません。自慢コーナーになってしまいました。ンフッ。
始皇帝
ざっくり始皇帝の略歴に触れていきましょう。
前247 秦王政即位(13歳)
陵墓建設開始
前241 合従軍の戦い
『不抜。』
前238 加冠、親政の開始
統一戦争本格化
前221 中国統一
前220 第1回巡幸
前219 第2回巡幸、封禅
前215 蒙恬が匈奴遠征
前213 万里の長城建設
焚書令
前212 陵墓建設に70万人動員
坑儒
前210 第5回巡幸中に病死
前206 秦王朝滅亡
デジャヴ?秦の中国統一から300年以上前に、既にアケメネス朝ペルシアがこんなことをしていましたね。統一国家の方程式のようなものが見えるような、見えないような…?
ちなみに、現在クルクリ夫婦でハマってるのがコチラ↓↓↓
史実に基づき8年もの歳月をかけてストーリーを磨き上げ、俳優の所作や小道具に至るまで当時を忠実に再現した時代劇ということで、なかなかの見応えである。アマプラでも観れますので、ご興味あればぜひ。
さ、前置き(長すぎたっ!)はこれくらいにして、そろそろ時空旅行に出発します。
始皇帝陵と兵馬俑坑
50年前に発見されて以来、いまだ謎に満ちた遺産。
この遺産について、最近とても興味深いドキュメンタリーを観ました。もう興奮冷めやらぬ内容です。
兵馬俑坑といえば等身大サイズの俑が整然と並んでいる画像がパッと思い浮かぶ。が、あれは途方もない修復作業によって復元されたもの。
実際には無傷で発掘された俑はひとつもなく、人為的に破壊された状態だったというのだ。誰が?なぜ??冒頭から興味をそそられる。
そもそも現在史実として伝わるのは司馬遷『史記』などの文献によるものが多い。考古学は文字以外のものを科学的に検証するので、とても説得力があって面白い。
始皇帝陵の建設に多くの囚人が非人道的に労働させられた証拠。始皇帝死後、多くの側室や親族が殺害されて乱雑に埋められた証拠。番組内で多くの裏付けがなされていく。
クルクリが最も震えたのは、謎の戦士の墓の存在。それは始皇帝に近しく、高貴な位にあった人物だろうという。果たして誰の墓なのか?
始皇帝陵と兵馬俑坑が発見されてから50年。まだまだ多くの謎が残されている。
陵墓については、2002年に国家プロジェクトでの探索が行われた。最先端技術によって、実際に発掘することなく内部構造をとらえることに成功。地下宮殿やその中央にある墓室の大きさ、周囲の壁の構造まで浮かび上がったという。墓室内が浸水していないことも確認された。
現在は文化財保護の観点や、地中の水銀濃度が高いことなどから、調査は中断している。今後の調査研究の行方が楽しみだ。
万里の長城
始皇帝ゆかりの遺跡のひとつ。春秋時代から隣国に備えるために各地で築かれたものを、始皇帝が繋いで長城として整備した。ここでは将軍蒙恬が指揮をとる。築城得意だったもんね(笑)匈奴に備えた城壁として、また異民族との文化交流や交易の場として大きな役割を果たした。
こちらはクルクリ万里の長城訪問記(栃木県日光市のやつ)
泰山
文化遺産の登録基準(ⅰ)〜(ⅵ)全てを認められた世界遺産は3つ。
『泰山』は自然豊かな景観美(ⅶ)も評価され、(ⅰ)〜(ⅶ)を満たす唯一の複合資産として登録されている。中国五岳の筆頭で道教の聖地。天地創造の神盤古の伝説に由来するようだ。
土を盛って檀を造り天をまつる「封」と、地をはらって山川をまつる「禅」の儀式を合わせた封禅。前219年に始皇帝もここで儀式を行い、前漢7代目の武帝がそれを国家祭祠とした。
儀式を執り行った岱廟の正殿天貺殿、北京故宮の大和殿、曲阜孔廟の大成殿は中国三大宮殿とされる。
東の泰山は死後に魂が帰るという信仰から、生死を司る東岳大帝(冥界の最高神)が祀られている。
また、宋代建立の碧霞祠は東岳大帝の娘である女神碧霞元君も祀られている。
麓の岱廟から頂上までは約9kmで7000段の石段が続く。参道には2000以上もの石刻などがあるので飽きずに登れるというが、クルクリは文明の利器ロープーウェイを活用したい。
ということで、紀元前3世紀末、中華統一を成し遂げた始皇帝にまつわる世界遺産をめぐる旅でした。
→つづく(多分)
参考資料
おまけの『兵馬俑と古代中国展』
ここからはご購入いただいた方に、2022年上野の森美術館『兵馬俑と古代中国展』の写真集を。
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