【広島】広島城の雄姿と【2022年11月】#6
みなさんこんにちは!
2泊3日の広島旅行、最終日です。
午後1時過ぎの飛行機なので、あまり時間はありませんが、ぎりぎりまで刊行を楽しみます。
それではレッツゴー!
ホテルのシャトルバスで宮島口駅までやってきました。
こちらはJRの駅になります。
なかなか味のある駅ですね。
これから、JR新白島駅まで向かいます。
さて、電車がやってきました。
それでは乗り込んでいきましょう。
9:00 「広島城址公園」
新白島駅から歩いて15分ほど、「広島城址公園」にやってきました。
正面に既に天守閣が見えています。
それにしても大きなお堀ですね。
このお堀の水は太田川から引き入れており、3日半かけて循環させて水質を保っているそうです。
この辺りにはお城側に渡る橋がありませんので、渡れるところまで歩いていきましょう。
お堀に浮かぶ二の丸表御門(おもてごもん)。ここが現在の広島城の入口です。
通常、二の丸といえば、本丸に次ぐ重要な郭(くるわ)(区画)。
相当の規模や施設を持っている城郭が多いのですが、広島城の場合、規模が小さく、もともとは本丸の馬出(うまだし)として設けられたものと言われています。
守備的な目的というよりも、むしろ攻撃的に城を防御しようという考えのもとに作られているのです。
二の丸内部も見学できるので入ってみましょう。
壁には敵を狙い撃ちするための鉄砲狭間や矢狭間などの穴が空いています。
二の丸の復元模型や、復元に使用した当時の資料などが展示されています。
それでは、広島城天守閣に向かいましょう。https://www.rijo-castle.jp/
敷地内の地図はご覧の通りです。
天守閣は城郭内部の最も奥にあります。
広島城は1589年、中国地方の大半を領有していた毛利輝元によって
水陸交通の便のよいこの地に築城を開始しました。この時、石垣や堀、天守閣等の建物、城下町を含む大規模な工事が行われたそうです。
復元天守の多くは白い漆喰で固められているのに対し、広島城は木がむき出し。木造風な外観は非常に趣がありますね。
それでは入っていきましょう。入場料は大人 370円です。
城を築城した毛利氏ですが、関ヶ原合戦の後移封(いほう)され、
江戸時代には福島正則、浅野長晟(あさの ながあきら)以下浅野氏12代の居城となりました。
何と内部は撮影禁止でした。
内部は、資料や模型等で広島の歴史を紹介する博物館となっており、年間6本程度の企画展や、様々な普及事業を行っています。
そんな中、撮影できたのは、頭に天守閣をのせた『しろうニャ』。
誕生日は6月1日だそうです。
最上階に上がってきました。こちらからは名古屋の町並を眺めることができます。
さて、広島城は、明治時代以降も天守閣やいくつかの建物は残されましたが、1945年8月6日の原爆投下によりすべての建物が全壊しました。
天守閣は昭和33年、二の丸の建物は平成6年に木造で再建されました。
また、城跡には江戸時代以前の石垣及び内堀が残り、史跡に指定されています。