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人の世も川の流れと同じで変わりゆくもの

僕は友達がいない上に性格が歪んでいる。だから久々に知り合いに会っては嫌われたり絶縁して帰ってくるという日々を過ごしている。それ自体は自分自身に問題があるのだからしょうがないと思うし、それに対して悲観もしていない。

最近、久々にずっと仲良くしていた趣味のグループのみんなと再開した。自分が高校生の時に入ったから、5年以上の付き合いになる人たちだ。年齢もバラバラで、その中で僕は若い方だったから、沢山良くして貰ったり、可愛がってもらったりした。

しかし、先日再開した時には微妙な空気感というか、歓迎されていない感があった。正確には僕が大学を卒業したくらいから、一部のメンバーにそういう空気は漂っていた。表向きは「またいつでも来てね」と言われるけど、本音は「もう来ないでください」「あなたがいると迷惑です」、みたいな視線や態度を数人から向けられていた。俗に言う、察するというものだ。

今回会った時もそうだった。会話はするんだけど、ぎこちないというか弾まない。それに僕がいない間にメンバーはガラリと変わっていて、僕が本来担っていたポジションには新しい人がいて、集団にも馴染んでいた。僕のグループでの居場所は無くなっていたし、外部者というか、ゲスト扱いされているような感じもした。

帰り道、人間関係というか人の世も川の流れと同じで移り変わっていくものなんだなと感じた。

”ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず”
最近読んで感銘を受けた、方丈記の冒頭である。川の流れは絶えまなく、その水はいつも入れ替わり、もとの水はとどまらない。

人間関係や集団においても、いつまでも同じメンバーで、ということはないんだな。誰かが抜けてはすぐに新しい人が入ってきて、また抜けて、入って、を繰り返す。居心地の良さとか集団の雰囲気とかも移り変わっていくものだと思う。

僕は出来ることなら好きなグループだからずっと留まっていたいという思いはあった。でも僕も所詮、川の中の水であって、入れ替わりが激しい中で、ずっと留まることはできない。そう思ってからは、彼らに拘泥することは無くなったし、気持ちも楽になったと思う。世界は広いのだから、合わなくなったら、無理に留まらず、すぐに去って、また新しい居場所を探せば良いんだ。渡り鳥や遊牧民のようにさ。

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