『考え過ぎ』とは?
『考え過ぎ』。
幼年期から41歳現在まで、何度言われたかな。
妹からは、心情を説明する度に聞く言葉なので、何なら週一回は聞いている。
『考え過ぎ』+『面倒臭い』+『うるさい』
にてバタンと心の扉を閉められ強制退場ってパターンも、、、結構ある。
あれ、本当はとても傷付くんだよなぁ。
『うるさい』は、八つ当たりなので私の問題では無いから置いておくとして、
『考え過ぎ』『面倒臭い』
は、私のパーソナリティの部分への攻撃なので、冗談でない場合は、聞きづてならない。
何故聴きずてならないのかと言うと、
会話の最中、私は考えていないからさ。
考えていないのに、『考え過ぎ』+『面倒臭い』は、小門が違うと感じる。
皆それぞれ、閃きのパターンやスピードがある。
閃きではなく、思考パターンの人もいる。
私はバイオリズムは勿論ある前提ですが、
議題が心の分野の場合、閃きタイプで瞬間型だ。
一瞬のイメージで理解をする。
一瞬で菌糸の様に細かく深くイメージが広がる。
しかも、フォーカスをするとその部分がまた一瞬で菌糸の如く広がる。
光の速さなので、言語化は至難の業なんだぜ。
一瞬で広がりフォーカスし広がりフォーカスし広がり、をやっているので、核心付近に近付くんだけれど、核心付近迄の道のりには段階がある為、段階の説明がないとガサツで失礼な気がするので、それぞれの段階のインパクトのある部分は念の為言語化する。と言う感じ。
特に気の置けない間柄な場合、なるべくフレッシュな感覚を説明したいので、枕詞などイメージの鮮度を落とす常識をとっぱらって話す事が多い。
余計な思考を介入させないフレッシュな閃きをそのまま届けたいというリスペクトなんだ。
その一瞬、私が失礼な奴だと思われたとしても、そのまま伝えなければ、という使命感の中に居る事すらある(これに関しては考察必要)。
しかも教えや説教にならない為には、私が自分本意である事が重要なので、やはり枕詞やオダテなどの常識を介入させる訳にはいかなかったりする。
いやはや(正義感と責任感)。
この価値観て、多分説明されないと一生気付いて貰えず、リスペクトが失礼に捉えられてしまう。
だから説明する。
すると言葉がまた重なって、話が長くなってしまう。
しかし重要。
さてどうしよう?
という様に、
価値観の前提話をしない場合は何も伝わらない。
価値観の前提話をすると話のレイヤーが一つ増えてしまう。
さてどうしよう?
の葛藤は毎回あるんだ、実は。
この様に情報量が多いのに直球過ぎて息継ぎの間が無く、受け取る側は戸惑うらしい。
まあ、そうだよね。
さて、今閃いた事、
一度話方を学んだ方が良い。
多分ガードにも武器にもなる。
そして恐らく日本の話法は、心の作法から成り立っているはずなので、より深く心の事を学べるはず。
ただの閃きです。
本田さんのYouTubeの立体話法の回を覗いてみようかな。
『考え過ぎ』についてもう一つ。
考えるってとても前向きで、私は魂の喜びを感じる重要な行為なんだ。
どんなに一見不気味な思考でも、歪な思考でも、だからこそイメージが広がるままに、イメージを捉えて発動する思考が進むがままに、自由に駆け巡らせて行く道のりは宝。
私のイメージと思考の領域は捉える事が出来ないスピードで拡大していく。
イメージし過ぎって事はあり得ない様に、考え過ぎって事はありえない。
まだまだ行くよ何処までも。
あなたも、考え過ぎを突破して、もっと深くもっと広く、もっと近く、もっと目の前に。
進みたいだけ進もうぜ。
それだけは、妹に言いたい。
『それだけ』とは?また匙加減が難しい。
良きタイミングで閃いた時、noteのリンクを送ろう。