【前世から愛してます】というジャンルを読んでいる時に思うこと。
最近よく読む好きなジャンルがある。
【前世から愛してた系】
過去に、不幸があり結ばれなかった人物が
来世でまた巡り会うというお話。
よくよく考えたら、難しい感情が溢れるなって私が苦しんでたシーンの一つに印象に残った
【前世の記憶有無で変わる話】をする
『君が好いてくれてるのは、過去の幻影ですか?それとも今君と生きてる私ですか?』って記憶無し側の素朴な疑問
《記憶あり側》
確かに惚れたきっかけは何故かと言われたら今ではなく過去である面影からで、今の君の姿を見てからではない。
でも、今を生きる君を見ていないわけじゃないって言い切れないもどかしさがある。
ただ今世でも愛したい一緒にいたい。
《記憶無し側》
自身を見ているようで違う人物を見ているように感じることもある。
一緒にいるのは、別に嫌ではない。
愛されてるとも感じる。
ただそれが自分自身なのか
自信が持てるほど欲深くは居られない。
【これを簡単にまとめると】
《記憶あり側》
感情論で話す以外の対処法が見当たらない
《記憶無し側》
根拠のないから余計に不安になる。
※ここから私の想像
無し側が思い出すことで、不安は消えるだろう『過去に侵食されて今まで生きてきた数年が消えてしまうのでは?』と脳裏によぎる場合も捨てきれない。
簡単に思い出すことは難しくなりそう。
過去の知らない他人(前世)が憎く疎ましく思ってしまう可能性も高くなる。
【認識できない人物を認知してしまったことで過去と現在の違いで壊れてしまうのではないか?】
自分の中に、もう一人の記憶が入った状態ってどんな感じなんだろう?
脳みそは、1つだから記憶がごちゃ混ぜになるとは思う。より強い印象がある記憶に差し替えられる可能性が高そう。
だとしたら、塗り替えられるってことに近いのかもしれない。
そう考えたら、余計に苦しくなるなって思った。
【ここからは蛇足】
記憶をなくして生まれ直すは、強い記憶があるからではないか。
脳みその収納量って限界値があると考えるなら、前世の記憶で一番強く印象があるものが魂に刻まれていると考えたとき、その新しい生命体の脳みそのどの程度のメモリを取るのだろう。
赤子の脳に刻まれてあるとしたら、認識は出来るのか?できたとしたら脳が焼き切れてしまいそう。血が一気に頭に上がり命は燃え尽きてしまうのではないか。
前世の記憶は、脳ではなく違う媒体で保管されているのかもしれない。
保管ではなく魂の熱量とか…燃料が強ければ強いほど刻まれている感覚なのかも。
そして、燃料が燃え尽きた時に使命は終わるのかもしれない。
謎は深まるばかりだ。