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小説『あなたの「音」、回収します』(完結)

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後頭部に指揮棒、肩にはおたまじゃくし。その男は、「命の音」の回収人。 回収人・音廻卓渡(おとめぐり たくと)が、債務者たちからそれぞれの「命の音」を回収する。 ピアノ、チェロ、…
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『あなたの「音」、回収します』 第1話 空飛ぶおたまじゃくし(1)

<あらすじ> 後頭部に指揮棒、肩にはおたまじゃくし。その男は、「命の音」の回収人。 男の上役は、「命」を持たぬものに対し、何よりも大事な「命」を貸し付ける。 かと言って、貸した命を回収すれば、それはただの死神だ。 男が回収人として債務者から回収するのは、命ではなく、男が指定する「音楽」だ。 かくして、男のもとに様々な音楽が奏される。 様々な音楽人による「命の音」が、やがて重なり、一つのハーモニーとなって人々の命を繋ぎ始める。 これは、訳あり債務者たちが音楽の輪で結びつ

『あなたの「音」、回収します』 第2話 空飛ぶおたまじゃくし(2)

「あなたなら簡単でしょう? 天才ピアニスト、川波音葉さん」  燕尾服の青年・卓渡の言葉に、音葉の両目がキッと鋭さを増した。 「音を提供ってどういうこと。どこで何を弾けっての」 「おじいさまのピアノはこの邸宅にあるんですよね? 曲目は指定させていただきます。なんなら今からすぐにでも。心の準備がぁ~、ということでしたら、また出直しますよ」 「今、ここで、俺の演奏を?」  嘘だろ、と呻きながら、音葉が頭を押さえる。 「よく、そんなこと言えるね……。知ってんだろ、俺がどん

『あなたの「音」、回収します』 第3話 空飛ぶおたまじゃくし(3)

♬カミーユ・サン=サーンス作曲  動物の謝肉祭  第13曲ト長調『白鳥』  ピアニッシモで静かに始まる伴奏は、湖面のように小さな波に光を乗せてきらめいている。  主張することなく、あくまでも静かに。アルペジオが、一粒一粒のきらめきを投げかける。  同じくピアニッシモで静かに始まる主旋律は、白鳥のように。  優雅に、ゆったりと、のびやかに湖面をすべる。  両手でアルペジオを奏でながら、一音一音、チェロのように深みのある音を乗せていく。  たった一分で中断したリストの演奏よ

『あなたの「音」、回収します』 第4話 風の翼の乙女(1)

 今日も、抜けるような晴天だ。  黒い燕尾服をパリッと着込んだ青年・音廻卓渡は、空に浮かぶ一匹のおたまじゃくしをぼ~っと眺めながら歩いていた。  正確には、ふよふよと自分の頭上を気ままに飛んでいる、鶏の卵大の、愛すべき相棒を。「卵の相棒」の「黒玉ちゃん」、その人(もとい、その卵)である。 「今日も黒玉ちゃんは一個。飛行機雲は一本。パーカス一発叩いて終わり。これじゃあ、総譜は作れないなあ……」  卓渡は不満だった。先ほど上司との通信で交わされた会話を思い返す。 「僕が音

『あなたの「音」、回収します』 第5話 風の翼の乙女(2)

♬アレクサンドル・ボロディン作曲  オペラ『イーゴリ公』より  『ポロヴェツ人の踊り』 ※タイトルについて  原題通りに訳せば『ポロヴェツ人の踊り(Polovtsian Dances)』だが、日本では『ダッタン人の踊り』というタイトルで広く知られている。  ポロヴェツ人はトルコ系、韃靼人(タタール人)はモンゴル系・ツングース系。違う民族だが、昔は東洋系の民族を広く「タタール人」と呼んでいたため、日本語に訳される際に韃靼人(タタール人)となり、そのまま日本語タイトルに定着した

『あなたの「音」、回収します』 第6話 おっさん運命共同体(1)

 音廻卓渡は、浮かれていた。  普段はうるさいだけの波打つベートーヴェンヘアが、ゆるふわ愛されヘアのようにふんわりふわふわと風に揺れるくらいには浮かれていた。 「やった、やったよ黒玉ちゃん! 今度こそレア卵ちゃんに会えるんだぁー! 新たな命を与えられた、つやっつやな卵ちゃんにお近づきになれる! もう黒くなきゃ嫌だなんて贅沢は言わない、可愛い卵ちゃんであればそれでいい! 赤玉ちゃんでも生玉ちゃんでもどーんと来い! 回収人特権で、思いっきりすべすべすりすり、可愛がっちゃうぞぉ〜

『あなたの「音」、回収します』 第7話 おっさん運命共同体(2)

『イパネマの娘』が終わり、周囲からの拍手が一通り収まると、バンド名が書かれた張り紙の上に「休憩中」の札がかけられた。  コントラバスの大きなケースの中に多数のコインが投げ入れられ、バンドリーダーことスティールパンおっさん・音道豊海が、ニコニコと会釈しながら散開する人々を見送っている。 「こんにちは。素晴らしい演奏ですね」  卓渡がニコニコと紙幣を二枚ほど入れ、音道もニコニコと会釈を返す。 「ありがとうございます。まさか、回収される方からいただけるとは思いませんでしたよ

『あなたの「音」、回収します』 第8話 歌の花にカノンを乗せて(1)

『今更なんだが。あんた、ハニトラされた経験はあるか?』  いきなり何を言い出すんだ、この上司。 「卵通信」に対する卓渡の返答は、低音C3のシンコペーション、最終音はフェルマータであった。 「ないっス〜〜……」  何それ、甘いトラのこと?  ハニトラという単語自体に、金輪際ご縁がないっス。ご縁があれば、狩猟罠に足を挟まれ奇襲成功。触らぬトラにたたりなし。 『今回の回収対象は、なんとピッチピチのJKだ! 気をつけろよー、いまどきのJKは相手がモテないおっさんと見ると手練

『あなたの「音」、回収します』 第9話 歌の花にカノンを乗せて(2)

「話ってのは、もちろんカノンのことなんだけどな」  バンドのおっさんのひとり・ルシオにペルー料理をご馳走になったあと、ルシオが切り出した。  ペルー料理は、日本ではあまりピンと来ないかもしれないが、実は「世界で最も美食を楽しめる国」「世界をリードする食のディスティネーション」と世界的に評されている。  アヒ・デ・ガジーナ(鶏肉のイエローペッパー煮込み)、アンティクーチョ(牛の心臓の串焼き)、セビーチェ(魚介のマリネ)など、出汁と香辛料をきかせた色鮮やかな料理の数

『あなたの「音」、回収します』 第10話 音楽ダンディと音楽談義(1)

『今度こそ回収失敗するかもなあ』  いきなり何言い出すんだ、この上司。  回収場所へ向かいながら、回収人・音廻卓渡は、相棒の黒玉ちゃんに向かって毒づいた。いや、黒玉ちゃんは悪くないんだけど。 『一言で言えば世渡り上手な爺さんだ。今までの人生、すべて自分が気持ちよく生きるために費やしてきたような。一流の音楽家には違いないんだが、その分岩のように頑固だ。今回ばかりは衝突不可避だろうなァ、「音楽性の違い」ってやつで』 「『音楽性の違い』って。バンドとかが解散するときの常套句

『あなたの「音」、回収します』 第11話 音楽ダンディと音楽談義(2)

「関川百尋さん。父がレコードを持っていたので、子供の頃から聴き親しんできました。ベルリンフィルと共演した、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲。実に見事でした」  卓渡の言葉に、少女二人が文字通り飛び上がった。 「チャイコのヴァイオリンッ!! ベルリンフィルーッ!!」 「マジで!? じーちゃん、そんなの言ったことないじゃん!」 「まあまあ。もう四十年も昔の話だしなあ」 「えーっ、じーちゃんって今いくつだっけ?」 「今年で七十二尋じゃ。百尋までは死なんぞ~」  老

『あなたの「音」、回収します』 第12話 音楽ダンディと音楽談義(3)

 ピアノによる劇的な序奏が、卓渡の意識を貫いた。    他の観客も、それぞれが驚きの表情を作る中、関川の弓が吠えた。ヴァイオリンが、会場いっぱいに主題を鋭くとどろかせる。 ♬パブロ・デ・サラサーテ作曲  『ツィゴイネルワイゼン』  超絶技巧が詰まった、名高いヴァイオリンの難曲だ。  ロマ(ジプシー)音楽の特徴を取り込み、「ロマ音階」と呼ばれる独特な響きをもたらす、抒情的な第一部。  Lento(ゆるやかに、遅く)。いくつもの超絶技巧を繰り出しながらも、官能的にすら聞こえる

『あなたの「音」、回収します』 第13話 海を越える桜の音(1)

「母が好きだったという曲を、いつか、この手で」  あの日、卓渡の前に開けた、新たな道。  一度は諦めかけていた音楽の道が、自分の未来へと一筋すうっと繋がった。  生涯の相棒と信じる、「黒玉ちゃん」と共に。  一緒ならきっと、どこまでも歩いていける。  黒玉ちゃんの中に、関川の言う通り、本当に母の魂が入っているのかどうかはわからない。  仮にその通りだとして、果たして卵の中の魂に母の記憶が残っているのかどうか。  父も確信が持てなかったため、今まで息子に向かって「この卵がお

『あなたの「音」、回収します』 第14話 海を越える桜の音(2)

 トラブルの張本人は、「スティール・おっさん・シングラー」を率いるスティールパン奏者、音道豊海だ。 「また卓渡の指揮を見なかった」というわけではない。  なんと、嫁をもらったのだ。しかも楽団内で。 「あんなやつ、シングラーの名折れだ! 追放だ追放ー!」 「リーダーのくせに裏切り者がァー! 後任のスティールパンが決まるまでの命だと思え!」 「てゆうか、もうスティールパンにこだわる必要なくね? ピアノかサックスあたり入れちゃえば、俺たち普通のジャズバンドになるぜ?」