『あなたの「音」、回収します』 第1話 空飛ぶおたまじゃくし(1)
<あらすじ>
後頭部に指揮棒、肩にはおたまじゃくし。その男は、「命の音」の回収人。
男の上役は、「命」を持たぬものに対し、何よりも大事な「命」を貸し付ける。
かと言って、貸した命を回収すれば、それはただの死神だ。
男が回収人として債務者から回収するのは、命ではなく、男が指定する「音楽」だ。
かくして、男のもとに様々な音楽が奏される。
様々な音楽人による「命の音」が、やがて重なり、一つのハーモニーとなって人々の命を繋ぎ始める。
これは、訳あり債務者たちが音楽の輪で結びついていく物語。
<本文>
この世界では、人はみな「相棒」と共に生まれてくる。
通称「卵の相棒」。卵の形をした相棒だ。
体内に卵細胞を持っている、という話ではない。
赤ん坊が生まれる時、たいていは大事そうに両手で卵を抱えている。つまり、母親の妊娠中は赤ん坊と共に胎内で育ち、出産の時に一緒に出てくる、双子の兄弟のような存在。
が、兄弟ではなく、卵なのだ。しかも人の卵ではなく、色も大きさも形も、どう見ても鶏の卵だ。スーパーで普通にパックに入れられて売られている、あの卵だ。
その正体はいまだ解明されていないが、ほとんどの人が卵と共に生まれ、卵と共に育ち、生涯を共に過ごす。
割れることもなく、腐ることもなく、中身が出てくることもなく。
人が望もうと望まなかろうと、人から決して離れることはない。
まさに、切っても切り離せない、人生のパートナー。
人の外見と内面が千差万別なように、卵の外見と中身と性能も千差万別。
当然、中には他人がうらやむような極上の卵も存在する。
かと思えば、「あたし、固ゆでがよかったのに!」などと、幼児が心無い言葉を自身の半熟な相棒に投げつけるような悲劇的な場面も、世界中で散見されている。
親や自分の境遇と同様、どんな卵なのかは、誰も選べないのだ。
* * *
『で、わかってんな? 今回の仕事は楽勝だから、しゃっきり回収してこいよ!』
「へーへー、わかってますって~~」
抑揚のない間の抜けた返答は、なぜかきっちりとすべて「E」の高さに乗っていた。絶対音感の無駄遣いである。
答えた男は、パリッとした黒の燕尾服を着こなす、背の高い青年。ある種の緊張感を醸し出すフォーマルな服装を、後頭部で雑にハーフアップにまとめた波打つようなヘアスタイルが裏切っている。好意的に評すれば、「音楽室に飾られたベートーヴェンの肖像画みたい」と言えなくもない風貌だ。
閑静な住宅街をこの服装で昼間から歩いている、この青年ひとりだけでも十分に異質に見えるのだが――青年に話しかけている「物体」の方が、道ゆく住人の視線をより多く集めていた。中には「うわ、黒玉。かっけー」とつぶやく少年もいる。
黒い卵。これが、燕尾服の若者の「卵の相棒」。
黒い卵の発祥は、全国的に有名な某温泉地で――という蘊蓄は、この際電信柱の後ろにでも置いておいて。
稀有な存在であることは間違いない。つややかに黒光りする、欠点の見当たらない美しきフォルム。ほのかに香る硫化鉄のにおいまでかぐわしい。もちろん中身は固ゆでだ。
しかも、人の肩に乗るだけでなく、時おりふよふよと空まで飛んでいる。性能的にも申し分がない。
多くの人は、常にそばにいて離れない相棒を自分の所有物、道具とみなしており、主に通信機器として利用している。スマートフォンほど多機能ではないが、決して壊れず紛失しないという点で、基本的な通信だけならむしろスマートフォンより優秀かもしれない。
黒い卵から聞こえてくる音声は、燕尾服の青年の上司からの通信だ。
『今日の「回収対象」は、両親も弟妹もすべて別宅へ避難させ、果敢にも自分と相棒だけで回収人を待ち構えている。だが、まだ十二歳の子供だ。くれぐれも丁寧に、優しく接して差し上げろ。そして、必ず指定の「回収」を果たせ。では、健闘を祈る』
「へ~~~~」
業務連絡という名の無茶ぶりに、Eの返答には見事なビブラートまでかかっていた。
燕尾服の男は考えていた。自分の相棒である黒玉は、おたまじゃくし――音楽的に言えば、音符の「たま」の部分に似ている。黒玉がたくさん空を飛んで、飛行機雲が直線を五本引けば、空に譜面が作れるではないか。ぜひ見てみたいが、そのためには多数の「黒玉メイト」を発見しなければ、と。
通信が終わるとほぼ同時に、青年は目的地へと到着した。
ロートアイアン製の、瀟洒な紋様に飾られた門扉。敷地の奥へと続く、格調高い風合いの外装タイルは陽の光を浴びてきらきらと小さな光を放っている。
奥に一部だけが見える、モノトーンを基調とした邸宅の外観。
手入れの行き届いた、誰もが一度は憧れるような洋館だ。
おまけに、庭師までいた。門周辺の木の剪定をしている。
作業服に身を包んだ庭師は、ぎこちない動きで門までゆっくりと近づき、頭を下げながら門を開けた。
招かれるまま、相棒と共に門をくぐる。
ふむ、この男が……。
青年は、庭師の背中に、バレない程度にそっと鋭い目を向けた。
* * *
重厚な黒い玄関扉の向こうに、ひとりの少年が待っていた。
どう好意的に解釈しても「客をもてなす」態度とは程遠い、とがった空気を全身から発散させながら、青年を睨むように立っていた。
「どうも、回収屋です~~。えーと、あなたが川波音葉さん、ですね?」
今度はさすがにEではなく、ごく普通の「話のわかる回収屋」風の抑揚を乗せている。「話のわかる回収屋」がごく普通に生息しているのかどうかは別として。
事前情報によると、少年・音葉はまだ十二歳。
「相棒と共に待ち構えている」とのことだったが、少年のそばに卵は見当たらない。卵を見られたくなくてポケットに隠す者も多いが、この少年の場合は――
「そして、こちらがあなたの相棒、というわけですね?」
青年の視線が、後ろに下がった庭師の男へと向けられた。
その言葉に驚きもせず、少年がとがった口調で応える。
「あのさ。まず自分がきちんと名乗るべきじゃない? それとも名乗れないほどヤバい人? ……あ、取り立て屋だっけ。それじゃ普通は名乗らないもんか」
「いえいえ、取り立て屋ではなくて回収屋です。これは失礼いたしました」
青年はまるで舞台上にいるような、流れるようなおじぎをした。
「私は、えーと……あれ、なんだっけ……そうそう、音廻卓渡と申しますー。これは相棒の黒玉です」
流麗な所作で、名刺を渡す。肩の上で、黒い卵がぺこりと頭(?)を下げた。
偽名感、百パーセント。名前はどうでもいいが、黒い卵は気になるらしい。
卵を見る少年の視線が、わずかに羨望の意をはらんでいることに、青年・卓渡は気づかないふりをした。
「ご存知とは思いますが、今一度ご確認を。私どもは、ごく稀に生まれてくる『卵を持たないお子様』のために、主を失って機能停止した卵に新たな命を吹き込み、相棒として提供させていただく事業を行っております。音葉さんの場合は、さらに特殊なレア中のレアケースですね。あなたのおじいさまが指定されたあなたの相棒は、一般的な卵ではなく、この機械人形だった、と」
「……こいつは、祖父の遺作なんだ」
音葉の声が沈んだ。
「ピアノ製造技師だった祖父は、俺が生まれてすぐ、こいつを作った。卵を持たない俺のことが心配だったから。でも、AIを実装する前に病気になってしまったから、こいつはあらかじめ決められた動きしかできない。機械人形みたいに。俺の世話をするために、『命』を与えてくれるものが必要だった」
少年の顔が、少年らしからぬ皮肉めいた顔に歪んだ。
「で、今日はこの『命』を回収に来たんだろ? どんだけの利子をつければいいわけ? 祖父の遺産で済むならいいけど、それ以上は無理だからね」
「いえいえいえいえ~」
卓渡の返答はGとAの小刻みなトリルだ。
「私どもは、『命』の返還は請求いたしません。それじゃあただの死神ですからね。莫大な利子もいただきません。代わりに、こちらが指定するものをいただいております」
「……何」
タダより高いものはない。音葉の全身が警戒を強める。
卓渡は両手を広げ、まるで奏者を讃える指揮者のように、高らかに告げた。
「『音』です、音。こちらが指定する音を、私どもに提供していただければいいのです。指定する音は、あなたが演奏するピアノ演奏です。おじいさまの遺作であるピアノを使って。あなたなら簡単でしょう? 天才ピアニスト、川波音葉さん」
庭師の機械人形は、卓渡の後ろで、身じろぎもせずただ静かにたたずんでいた。
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