3行日記(俵万智、部室、山部)
十二月一日(金)、晴れ。
『よつ葉のエッセイ』(河出書房新社)を読んでいる。俵万智の随筆集だ。二十代のころに書かれた文章がまとまっていて、故郷の福井県や母校の藤島高校の回想もある。その中の一篇「わが良き友よ」は高校の同窓誌「明新」に寄稿した文章で、演劇部の友達との思い出話が綴られている。失恋をした俵さんに対して、〈部室(当時は長屋と呼んでいた。今でもそうかな)で私を励まそうとしてくれたのが、SとMだった〉という文章を読んだ瞬間、頭がむずむずし、演劇部の部室、をきっかけにとある記憶ががさごそと動きはじめた。
というのも、私が高校生のころに属していた部活の部室も、この演劇部と同じ建物だったからだ。私が属していたのはワンダーフォーゲルというかっこいい呼び名ではなく、もっと無骨な山岳部であり、さらに略して普段は山部(やまぶ)と呼ばれていた。私がいた当時、演劇部の部室は、教室が入っている校舎とは別の、一階が食堂になっている建物にあり、二階が演劇部の練習の部屋になっていた。とはいえ、演劇部の部員は山部が同じ建物に入っているとは気づいていなかったかもしれない。というのも、演劇部が陣取る二階から屋上に上がる階段が、山部に与えられた唯一の空間だったからだ。
俵さんが「長屋」と呼んでいる部室は、私がいたころの食堂の二階とは別の場所らしい。トタン屋根のボロボロの小屋のことで、先生たちがめったに足を踏み入れることがない、生徒の自治区だったようだ。私がいたころはすでに取り壊され、駐車場になっていた。
思い返せば、あの部室とはとても呼べない山部だけの空間は、当時にも残っていた最後の、先生が寄り付くことのない生徒だけの自治区だったのかもしれない。きょうはここまで。またこんど続きを書きたい。
ゆるく続けている3行日記だが、きょうで百をむかえた。