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11. 本はインスパイアする! 永野賢『文章論総説 ―文法論的考察』 朝倉書店1986

学問的巡礼

その頃筆者は、談話分析という分野を日本語研究に応用するため、試行錯誤を繰り返していた。早い話(というか、ぶっちゃけ)、談話分析などというなにか新しい名前の分野を考えていたものの、そんな用語が使われる前に、日本語の文章に関連した伝統的な学問が存在しないはずもなく、それはどうなっているのか、と疑問に思っていた。そのプロセスで時枝誠記の文章論に出会い、続いて永野賢の文章研究があることを知った。

学問を進める上で、何をヒントとし、どんな思想を自分の思索の礎とするかという決断には、ある意味運命のようなものが感じられる。すべての学問を同じように勉強・理解することは不可能だからであり、偶然、ある時ある所でめぐり逢う本があり、感動を呼ぶ学問の潮流がある。研究者は多くの場合、大学・大学院生活の中で、恩師と呼べる教授らと出会い、その方たちを通して学問上のヒーローとヒロインを知り、その学者たちの学問の流れを追いながら思索することが多い。その道程は、何かを信じて修行する巡礼者の行脚のようなものと言え、最後に結果として博士論文が認められるというシステムであることが多い。ただ、そうであっても、他人の理論を鵜吞みにし、それを一生守っていくことなどできるはずもない。筆者は、博士論文を書いた後、大学を去って自由になってからが、本当の学問上の勝負時なのだと、常に思ってきた。(これは、筆者の恩師の先生方が贈ってくれた言葉でもある。その日、博士論文の審査が通ったことを祝って、審査委員として指導してくださった恩師の先生方が、スクールカラーの紫と白のアイリスの花束を手渡してくれ、食事に誘ってくれた。そこで言ってくれたのが、「This is the beginning!」 というような未来を見据えた励ましの言葉だった。そんな素晴らしい真の教育者に出会えた筆者は幸せ者である!)

その頃の知の行脚の一部として日本の国語学、文章論に目を移すと、そこに大きな影響力を持つ学問として永野賢の文法論的文章論があった。

本のメッセージ

永野は時枝の影響をを受けているが、時枝の文章論に欠けていた部分を補い、文法論的文章論を、主に、『文章論詳説 ―文法論的考察』(朝倉書店1972)と本書で展開する。時枝の『文章研究序説』(明治書院1977 [1960])では文章を「展開」という概念で捉えていたのにもかかわらず、具体的に文章全体を分析することはなかった。永野は、小・中学生向けの国語教材に使われる割合短く簡潔な文章を分析の対象とし、独自の文法論的文章論を展開していく。

まず、研究の柱に、連接論、連鎖論、統括論を設け、文章の連接、連鎖、統括という3つの側面に注目する。例えば、連接論では、連接方法として用いられる言語形式をたよりに、意味の連接関係を明らかにする。具体的には、接続語句、指示詞、助詞、助動詞、同語反復、言い換え、応答詞、を指標にして、連なる文の型を、展開型、反対型、同格型、補足型、対比型、転換型、飛び石型、積石型と分けるのである。

文章論の分析では、どうしても例文が長くなるので、ここでは省略するが、連鎖論に関して、永野は「おうむのるすばん」という教材の主語の連鎖を明らかにする。そのために主語連鎖図を作成して、人物や事柄がどの種類の文によって語られるか一覧できるようにしている。連鎖論によって、連鎖のタイプが文章のどの部分に出てくるか、文章全体にどのように分布しているか、などに基づいて文章構造の性格付けをするのである。

統括論に関しては、「いろいろなあいさつ」という文章を分析する。この場合文章内の特定の文が全体を統括すると考えることで、文章の統一を確かめることができる。連接図、主語・陳述連鎖図、文章統括図を通して、文章統括の様子を明らかにする。(筆者は『談話分析の可能性 ―理論・方法・日本語の表現性』で永野の業績に詳しく触れているので、興味のある方は参照されたい)

本書には、もうひとつ興味深い試みとして、異なる文の種類を利用して文章構造を明らかにするアプローチがある。文の種類に関しては、三尾砂の『国語法文章論』(三省堂1948)による現象文、判断文、未展開文、分節文の4種が知られている。現象文(場の文)は、「現象をありのまま、そのままをうつしたものであり、判断の加工をほどこさないで、感官を通じて心にうつったままを、そのまま表現した文」(p.89)で、「雨がふってる」「とんぼがとんでる」などのように<体言+が+動詞>の文を指す。判断文(場をふくむ文)は、「論理学でいう命題、すなわち「AはBだ」(甲は乙だ)の文」(p.89)で、「人間は感情の動物です」などのように<体言+は+体言+だ>の文を指す。加えて、内容が十分に文の上に展開していない、つまり未展開のままで、場の内容を指向する未展開文と、従来不完全文とか省略文とか呼ばれてきた分節文がある。

永野は、三尾の分類をさらに主語があるかないかを基準にして4種に分け、文章論に応用する。永野の4種の文は、現象文(「雨がふっている」)、判断文(「人間は感情の動物です」)、述語文(「地震だ!」)、準判断文(「(あの煙は何だろう、に答えて)(あの煙は)火事だ」)であり、特に現象文と判断文の混合によって、文章構造を明らかにする。

現象文と判断文は、ある場面で起こる現象をどのような視点から描写するかに直接かかわっている。同一の場面でも、語り手や登場人物にどのように映ったかによって描写の仕方が違うわけで、現象文と判断文を混ぜることで異なった視点の調整ができる。同時に文の性格の違いを利用して、文章全体の構造を明らかにすることができる。

永野は、文章論という従来解釈論的なアプローチだったものを、日本語の文法要素と直接結びつけて分析するという新しい視点に立った。これはまさに、そのころ海外で始まりつつあった言語学的な談話分析に先手を打ったもので、筆者にとっては、示唆的なアプローチであった。

本がもたらすインスピレーション

筆者は、日本語研究を進めるうちに、すでに先人たちが何度も明らかにした学問を知らなかった、という事実に直面した。「知らなかった」では済まされない問題であると、反省を強いられる。要するに、重要な業績を無視するのでは、研究者失格だからである(筆者は、他の研究者の論文の査読を何度も依頼されているが、先行研究がすっぽり抜けていることがなきにしもあらずであり、残念なケースが多々あった)。特に、日本語学、国語学の伝統があるのだが、それが、言語学者の間でおろそかにされがちなのであった。

『文章論総説』は、筆者を日本の知の世界へ誘ってくれた。それは、自分の学問の狭さを知ることに繋がり、西洋の学者の見解を盲目的に受け入れることの軽率さを教えてくれた。知識だけでなく、学問をするとはどういうことかを教えてくれる本こそ、本当にインスパイアする本なのである。

ちなみに、筆者の長年にわたる学問の歴史を振り返ると、アメリカの大学で博士論文を書いたことから、西洋の学問の影響を強く受けてきたのだが、次第に日本の文献を重視するように変化してきた。いつのまにか拙著では巻末の参照文献が、当初はまず英語文献、それに日本語文献という順序だったものが、逆になっている。そこに、気持ちのシフトが反映され、学問的巡礼の交代劇が起きたことが見てとれる。


■この記事の執筆者
泉子・K・メイナード(Senko K. Maynard)
山梨県出身。AFS(アメリカン・フィールド・サービス)で米国に留学。甲府第一高等学校およびアイオワ州コーニング・ハイスクール卒業。東京外国語大学卒業後、再度渡米。1978年イリノイ大学シカゴ校より言語学修士号を、1980年ノースウェスタン大学より理論言語学博士号を取得。その後、ハワイ大学、コネチカット・カレッジ、ハーバード大学、プリンストン大学で教鞭をとる。現在、ニュージャージー州立ラトガース大学栄誉教授(Distinguished Professor of Japanese Language and Linguistics)。会話分析、談話分析、感情と言語理論、語用論、マルチジャンル分析、創造と言語論、ポピュラーカルチャー言語文化論、言語哲学、翻訳論、日本語教育などの分野において、日本語・英語による論文、著書多数。
くろしお出版から刊行の著書

■この記事で取りあげた本
永野賢『文章論総説 ―文法論的考察』朝倉書店1986
国立国会図書館の書誌情報


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