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『週末の縄文人』週末縄文人 縄・文(2023・産業編集センター)/ memo

一体どうやったらこれだけ粘土を高く積み上げられるのか。土器の表面をよく見るとキラキラしているが、どんな粘土を使っていたのだろうか。どれだけの技術があれば、こんな複雑な装飾ができるのか。
一度自分たちで作ってみたからこそ、その背景にある苦労や、彼らが何世代もかけて培った技術の途方もなさを想像できるようになっていたのだ。

「私は君たちの″失敗”が好きなんです。その遠回りの中にこそ、大事な気づきや発見があるんですよ。だから本当は、なるべく答えを教えないようにしたいんです。
仮に私が同じことをやろうとしても、答えを知っちゃってるから失敗できない。失敗できるということは財産なんです。だから今の“知らない”自分たちを大事にしてほしい」

館長さん

しかし、落ち込んでいたら冬が来てしまう。粘土は貴重品なので、泣く泣く3号を粘土に戻すという、悲しい儀式を行うことにした。
(中略)
少し覚悟を決める時間をもらい、ついに思い切って石を振り下ろした。3号は粉々の欠片となって、無残にも地面に散らばった。
文「あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”あ”~~~かあああぁぁぁ・・・・・」
言葉にならない声を上げるのは、今度は僕の番だった。「心が痛む」とよく言うが、土器が砕けた瞬間、比喩ではなく、本当に心臓に痛みが走った。それほど、土器は自分と一体化していたのだ。
だが、一度割ってしまうと、不思議と気持ちは切り替えられた。儀式という一見非合理的なもののおかげで、人間の心は前を向くことができるのかもしれない。

「土器が焼けた時、たとえそれが自分で作ったものでも、"生まれてきてくれた”という感覚になるんです。それは、土器が人の手だけではなく、土、水、そしてひという他力を借りてできるものだからではないでしょうか」

館長さん

食べ物には旬があるが、たぶん原始の暮らしには、衣食住あらゆる営みに旬があったんだと思う。粘土づくりは冬にやるとカチカチに凍って全然こねられないし、カラムシは6月の梅雨明け頃に採集しないと、成長しすぎて綺麗な繊維が取りだせない・・・・。
自然にあるものをよく観察して、最高のタイミングを見極める。それが原始時代を生き抜くための大原則だったに違いない。

『週末の縄文人』面白かったなあ~~。

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