Audible『自由と成長の経済学「人新世」と「脱成長コミュニズム」の罠』柿埜真吾(2021・PHP新書)
資本主義と社会・共産主義。どっちが好きか問題。
政治のことはよくわかんないけど、好みが二分するんだろうなあ。どっちにも支持派がいるから、どっちかに偏りすぎるとケンカになるってゆうか。
んじゃあキミ個人はどっちの世界線に暮らしたいか?と問われれば、個人的には資本主義的で民主的な国に暮らしていたい。それはたぶん、社会・共産系の国々で暮らす庶民の方々がひとつも幸せそうに見えないからではなかろーかと思う。素人ながら、理想とリアルとの間に横たわるギャップを感じずにはいられません。
それに一度でも自由の味を知ってしまったら、なっかなか元の世界には戻れなくなります。身近なところで言えば「全世帯強制加入!」「昭和流体制復古!」をもくろんだ地元子供会の崩壊、私にとってはアレが一番記憶に新しい。今更強制加入なんてムリな話やったんよ。令和のママたちがそないな不自由受け入れるハズがない。子供会崩壊は誰にも止められぬ流れであったのだ。チーン。さいならバイバイまたきてしかく。(ちなみにこの運動を主導したのは子供会OBの団塊オジたちである)
あと思うのが、社会・共産主義を掲げる理想家・夢想家のエライ先生方とは違って、一般国民はもっとだらしなくて自分勝手な俗物なんですヨ!的なことだ(もちろん私も含んでます!)。理想実現のための自制とか自律とか求められても、たぶんムリ。国民全員がマルクス先生や〇✕▼先生のようなハイソなインテリならば「やれる!」のかもしれませんが、一般国民にそないなマジメや努力を求めてもムダな気がする。
多様性のない政治には多様性のない国民が必須。コッチ系のお国では、過去、眩暈がするほどの殺戮が行われてきたようです。理想にかなわぬ性質をもったやつらを一人残らず粛清して「なんでも素直に言うこと聞くマジメな人間(都合のいいやつら)」だけを残す。コレを100パー完遂できてたら「うまくいった」のかもしれんけども。
だけど、1人でも殺した時点でその国家はもう「みんなの幸せを目指すステキ国家」ではなくなっちゃう気がする。