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①『法の歴史大図鑑 世界を知る新しい教科書』ポール・ミッチェル(2024・河出書房新社)
人類の最初の頃の法律の効用(の一部)。
1.目には目を。「人を殺したらオマエも死ぬことになるからな!」という脅しによって「やる側」の凶暴性を抑える。
2.行き過ぎた復讐を抑えるという側面もあり。「やられた側」の凶暴性を抑える。
人間の暴力性を両側からコントロールしていこう!っていう基本は昔から変わらないんですね。暴力は現代においてもバッチリ健在。暴力って何をどーしたってなくならないのかもしれません(悲)
んで、法の後ろ盾はたいてい神様だった。
社会の構成員が一人残らず同じ神様を信仰してれば問題ないのかもしれんけど、諸々自由な現代においてはこんな法律通用しない。
後ろ盾から神様が外れてくださって大変ありがとう。神様と法律のタッグにロクなことなし。んでもこれは神様が悪いわけじゃなくて扱う人間のせいだよネ〜。
(※個人の信仰心を否定する気持ちはございませんのでぜひ誤解のなきように・・・!)
暴力犯罪行為の抑制
全体の規律維持
後ろ盾の権威づけ
ハンムラピ法典をはじめとする古代初期の法典は個別の事例において取られた手続きを述べ、そこから一般原則を導き出すという決議論のかたちで書かれていた。
これに対して十戒は「殺してはならない」などのように、善悪を絶対的に述べる定言のかたちで書かれている。
ロード海法
ギリシャ古典期前500〜前300年の最古の海事法典
こういうのは社会活動を円滑にまわすための法律ってことになるのかな?
儒教 徳と伝統。徳で治める。教育。
道教 個人主義と無為。調和。
法家 人間の本質は利己的怠惰無知。犯罪防止。刑罰による社会秩序。
中国に出現した3つの信念体系。
これに岡田4類型をあてはめてみると!?
儒教→理想
道教→法則
法家→司令
かな??(違ってたらゴメンなさい)
注目タイプは見当たりませんが、それはそれで頷ける結果だ。だって注目って法律と相性悪そうだもんね。法律にならなさそう笑
私は法則タイプなのですが、子育てを思っきし法則流でやってるな!!ということに気がついて、今凄く驚いている。理想でも司令でも注目でもなく、法則流。子供への不干渉・自己決定主義が軸の調和的な関わり方。そして怠惰!(?)
周りのお母さん方を見回してみてもしかりで、「あそこは司令型」「あのお母さんは注目型」みたいなのがざっくりと思い当たる。面白し!
個人的にこの4つの中で最もめんどいのが理想型かな〜と思う。うちは父がこのタイプ。己の理想を周囲に強要しようとして癇癪をおこす人だったので、私の子供時代はものすご不自由で窮屈だった。なるほど不干渉自己決定主義の私とは相性が悪いわけです。納得。
身近なとこでは母・夫・妹・次女が司令型なのですが、こちら側に対しては困ったことがない。おしつけがまし度でいえば理想型より司令型のほうが全っ然パワーが強そうなのに、なぜかこっちのタイプとつきあうほうが断然ラクちんなのである。
・・・・ええええ。んじゃこれってもしかして、岡田先生のおっしゃる矢印の向き説が正しいってことなのかな?? だとしたら岡田類型ってスゴないかっ!?
今気づいたけど、そうか、教育って理想主義的なものなんだ!
このあたりの教育現場は(よそのことは知らんので娘たちの学校を思い浮かべて書いてます)、まずは甘々の理想型小学校教育からスタート。中学にあがると司令成分がぐーんと濃ゆめになるけど、高校では個人主義の度合いが強まって法則的に。
んでもさ、小中高と若干色味は違えど、基本的には理想主義が貫かれているように思います。
こどもたちを見限らない。
手を差し伸べて成長を促す。
常に未来に希望を見る。
どの学校にもこういう素敵マインドがある。
父の理想と学校教育の理想との違いは「内容の違い」だと思う。個人的局所的な幅の狭い「父個人のための理想」か、大きな一般原則か。(←これを「fiとteの違い」と取る向きもあるようですが、確かになと思う)
理想主義にも様々あんでしょうけど、その主義の「軸を成しているモノが何か」ってトコが物凄く大事だよなって。経験上強くこう思う。(ほかのタイプもそうだと思うけど)
見極め、大切。
うわー、長いっ。どうしよう。
いったん終わり!