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階段を駆け上がるより、ゆっくり一歩ずつ歩くことで、また違った風景に出合える。

若い時は全力疾走の方がかっこよく見える。スプリンターみたいに、シュツとして、キュッとしていたらな~とか。でも50代に突入したころから、私のこれからの人生って階段を下りていくようなものなんだな~と漠然と考えるようになった。

だとすれば、運動神経が抜群によくない限り、全力で駆け下りたら、間違いなく、滑る、落ちる、転がる、だ。人生100年時代、50歳が折り返し地点だとしたら、今まで上がってきた長~い階段をゆっくり降りていく。そんなイメージと言えるかもしれない。

今後の自分の人生に起こりうる出来事を予測してみた

子育ては一応終わり、確実に自分の時間が増える。仕事は続けていても、メインは若い世代に移行されていく。特に私のようなメディアの業界は、感性は若い方が良いだろうし、フットワークでは間違いなく負ける。徹夜も無理だし、文字も読みにくい。あ~~、考えたら、マイナスばかりになる。

「介護ってなんだ」問題

50歳を過ぎると、ほぼ間違いなくやってくる「親の介護問題」。親が自分を20代で産んでいれば、70代だし、30代であれば80代だから、普通に暮らしていれば、自然と高齢化問題にぶち当たる。でもいったいどれだけの人が親の介護について考えているだろう。いや、そもそも介護ってなんだ?

私のように実家を出て、遠く離れた地に長く住んでいると、「遠くの親戚より近くの他人」度が増す。現に仲良くなった母親と同世代のおばあ様と気が合い、家が近所と言うこともあり、ちょっと家庭内のゴタゴタがあれば、避難して、愚痴を聞いてもらったりしていた。彼女は、息子さんと同居していたのだが、折り合いがあまりよくない上、大腸がんの手術をした直後だったので、彼女もなんとなく気弱になっていた時期。傍から見たら、介護?って思うように見える年齢と状況だったけど、この時、「あ~~~、これがお互い支えあいってことだな」と気づかされた。


「介護」という言葉はなくても良いんじゃないか。

親のことも特別視することなく、弱ってきてサポートが必要であればその支えあいを誰がするかってことなんだと思う。もしかしたら、家族でなくても、気心の知れたヘルパーさんが見つかれば、その方がよほどうまくいく場合もある。親子だから「介護して」「介護しなきゃ」という呪縛は、今後の超高齢化社会に向けては、解いていかなくてはいけないのではないか。

自分の人生の転換期と親の認知症が重なった

私の場合は、50歳を過ぎた頃から、東京を少し離れて地方でプチ農業をやりながら、ボチボチ物書きやらなんやらしながら、暮らしたいという漠然とした思いがあった。実際、「愛媛」で仕事してみようかと応募したこともある。とても魅力的な場所で、そこの取り組みも素晴らしい。結局、愛知に戻ることにしてしまったが、次に居場所を見つけるなら、あそこに住んでみたいという思いは今も残っている。それでも、全く母のことをスルーできなかったのは、今までの親不孝も重なってのこと。たぶんこのまま別の地で暮らしていたら、どこかで後悔が残ったと思う。なので、私にとっては親との暮らしの再スタートは、やはり自分の選択であり、転換期でもあった。その思いや確信がないと、たぶん自分が被害者になってしまうし、その後の人生設計にも大きく影響してしまう。だから、自分が親の面倒を見るという選択は、あくまで一つの方法であり、早くからその方法を考えていけばいくほど、可能性は広がるのだ。私も介護に戻る決心ができたのは、愛知で仕事が見つかったこと、愛知に戻っても続けられる東京の仕事もあったことが大きいのは間違いない。

愛知に戻って、次々と訪れる転換期

人は自分の生活や仕事をリセットすることが難しい。しがらみもあるし、不安もあるし、新しいことにチャレンジするというのは、年を取ればとるほど、怖くなる。私はその辺がポジティブ体質であったので、「今までとは違った仕事ができるなんてチャンスじゃない?」「新しいことを学べるって超ラッキー」と思えたことが功を奏している。なんといっても20~30代の超イケイケ男女と仕事ができて、どれだけ脳が活性化したことか! その後もどんどん若いスタッフと仕事をすることになり、ついにはwebライターとしてデビューすることにもなった。

人生100年時代を考えられるようになった!

新しい生活や新しい仕事をスタートして良かったのは、「私、まだまだやれることあるんじゃない?」ってことだった。確かに若い世代のようにフットワーク軽く動くことはできないけれど、ゆるゆるボチボチした状況の中、webライターをしながら、webやその他のコンテンツについて働きながら学ばせてもらっている。愛知という地方に住みながら、この8月からは、東京にいる編集スタッフとzoomでやり取り、zoomで会議を行うようになり、さらにはslackやsklapboxという新たな機能を習得し、新しい世界、新しい風景を覗かせてもらっている。20~30代の感性キラキラの若女子たちに、日々刺激とネタをもらいながら、生きていけているのである。もう正直、zoomで負けないお肌作りにも精を出している日々!!

「介護」だけじゃなく、転機はいつだって誰にだって突然訪れる

今回のコロナもそうだが、転機はいつだって突然やってくる。こちらがどんなに用意周到に計画を立てても、一瞬に崩されることだってある。その時にどう対処できるか。どう生き方を選択できるかが、これからの時代、必要になっていく能力じゃないかと思う。適応力、現場力、地域力……。そして、どんな時にも「学びとチャレンジ」、その精神があれば、案外100年時代も怖くないのかもしれない。

これがいわゆる「親の介護」から学べた最高のプレゼントなんじゃないかと思ったりしている。




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