「行かなくていいよ」
その言葉があのときの私を救ってくれた。毎日いじめられて辛くて。荷物を全部おいたまんま家に泣きに帰ったときも怒らなかった。
行きたくない!そういったら「行かなくていいよ。わかった。」って言ってくれた。母親が。
もうあんな地獄みたいなところへ行かなくてもいいよって言葉がなかったなら多分ここにいないと思う。それくらい何もかもが救われた。
怒られるんでもなく、ただわかった。って言ってくれたことが本当に嬉しかった。
今、子供たちはうまく学校へ行けてない。上の子はいじめられていたからこそ余計に行かなくてもいいよって私は伝えたし伝え続けてきた。私の心を救ったようにきっと彼の心も慰めるはずだから。
学校に行けない子って、変ですか?おかしいですか?道を踏み外してるって思いますか?
じゃあ、毎日休まず学校へ行って勉学に勤しんだ人はみな幸せでみないい人で犯罪なんて犯すはずもなく真っ当に生きている人ばかりですか?
極端な話かもしれない。けどそんな疑問がずっとある。私は不登校で高校受験も失敗して一浪して入って。けど誰も殺めてないしニュースに名前が出るようなこともせず日々を過ごしてきました。
学校に行かないことと、人生を一緒くたにするのは違う気がするんです。
学校に行かないから不良になる、犯罪者になる、落ちこぼれる。本当でしょうか?勿論そういう生き方をした人もいる。でもみんながみんなそうでしょうか?
私はそうは思わない。学校に行かないだけで人生は続いていくし選択肢もある。生きる道はちゃんとある。それは考えることさえやめなければどこにいて何をしていても変わらないものだと思っている。
自分はどうしたいのか。どうありたいのか。それを己に問い続けていくこと。そして自分に向き合い真摯に生きること。どうありたいのか、どうしたいのかはその人しか決められない。それを生きてる限り続ける。
道は開けなくてもいいから歩いていけばいい。うっそうとしていても歩いていけばいい。どんな道でも歩いていけばいい。
諦めてほしくない。自分なんて、と腐らないでいてほしい。あなたはあなたでしかないしそれは素晴らしいことなんだってちゃんと知っててほしい。
甘やかしてるとかダメにしてるとか、言いたいなら言ってくれて構わない。なんと思われようと彼等には関係ない。何に迷い苦しみ生きているかを知らない人の言葉なんていちいち受け止めなくていい。
人各々なんだよね?個性を主張してうざいというあなた。主張する個性もないんですかと言いたい。
おんなじ顔しておんなじ中身の人間なんていない。だから面白いんだ。だから助け合ったり受け入れたり討論したり拳を交えたりする。
学校に行かないから、だから、なんですか?私はそう言いたい。