見出し画像

とても穏やかな午前〜アンドレボーシャンと藤田龍児

アンドレボーシャンと藤田龍児の展覧会を見に来た。東京ステーションギャラリーに入ってまずメッセージというステイトメントを読んた。「うむうむ」と頷いてしまう。

2020年中に世界を襲った新型コロナウイルスのパンデミックは、社会に大きなダメージを与えました。美術界も例外ではありません。(中略)
こうした状況の中で、東京ステーションギャラリーでも予定していた海外展が延期となり、急遽代替の展覧会を企画する必要に迫られます。そこで学芸員それぞれが個人的に温めていた素材を披露し合い、厳しい状況の中でも開催できる展覧会を模索しました。
アンドレ・ボーシャンと藤田龍児の二人展というアイデアは、こうした作業の過程で生まれたものです。手持ちの材料を机の上に並べて企画を検討していた時に、この二人の絵が響き合っているように感じられました。〜〜

アンドレ・ボーシャンと藤田龍児の二人展「メッセージ」

この後に続く文章も素敵だった。最後に平安時代の百人一首の短歌が引用されていた。

長らへばまたこの頃やしのばれむ憂しと見し世ぞ今は恋しき

長く生きたなら今のこの日々も懐かしく思うのだろうか、辛いと思ったあの昔でさえ今は恋しく感じるのだから、という百人一首にも収録されている藤原清輔の有名な歌です。
新型コロナウイルスの蔓延で息苦しい閉塞感に包まれながら、同じような想いを抱いた多くの人の心を、アンドレ・ボーシャンと藤田龍児が描いた作品が少しでも癒してくれたら、と願わずにいられません。

アンドレ・ボーシャンと藤田龍児の二人展「メッセージ」

「そうだよな〜。この憂しと思う日もいつか笑いたいよな〜思い出として、、」と思いながら期待して入る。まずは藤田龍児の絵が並んでいる。

藤田龍児


一目見て、この人、確実に頭がおかしいやん!と思ってしまった、、、。この絵に溜まったエネルギーの集合体はなんだろうか。

藤田龍児「老木は残った」

ひっかいた線で植物の葉っぱが描かれている。みっしりと線の集合体。いやいやいや!脳みそがクラクラする。「原画」生の絵から感じるヤバさ。「なんなんすか!この人!」いう声が頭の中でリフレインしている。時代は変われど、絵には残るんだな〜と勝手に解釈。脳みその中でやまびこみたいに「やばいよ!やばいよ〜!」を反響している。油絵具の油のテカリがより一層、何かしらのヤバさを感じさせた。魔術的な要素に見えてきた。引っ掻かれた一本一本の線の本数たるや、、細かく、細かく、植物が葉っぱの表情までかなり細かく描かれている。気が遠くなる作業。揺れる瞬間、その時が封印されていたようにも感じた。

藤田特有のテクニックが絵の中の至る所に発見できた。輪郭を捉える執念。点々の描き方。植物の集合体の集中力。空は完全にマット状態(全然テカってないの)。いろいろと並んでいる藤田特有の共通のルール。その手法はリフレインされて、いろんな絵の中に見えた。それは藤田の息遣いだった。特有の。その息遣いが出てくるたびに粘りっこい生命エネルギーを感じた。手を振られているような気もした。こっちはこうだけど、そっちはどうだい?と言われてるみたいだった。(本人はそんな気持ちないかもしれないけど)ヒヤァ〜!

絵の中に気配を感じた。藤田の幽霊がいる気がした。そこには生きていた。キャンバスから出て現代だと「どうっすか?」と聞かれているような気もした。「いや、、どうっすかじゃないっすよ。やばいっすよ」応えている自分もいた。と書くとオカルトっぽいけど、すごい力を持って訴えてきた。生っぽく。生き物の鼻息を感じた、、鼓動を感じた。怖かった。その中にいさせてもらった。メッセージというか、生命エネルギーみたいなの感じた。

と、怖い話ばっかりじゃなくて、山とか植物とか野鳥とかモチーフにいっぱい出てきて、なんだか愛着も湧いた。

ふうっ。あまりにも迫ってくる藤田の力で体力をかなり削られたような気がした。一体何をしに行ってるのだ、、プロレス技をかけられたレスラーのようにニヤケながら「いや〜濃いね〜濃密ですな〜」とニヤけながら歩いていた。(側から見ると気持ち悪いかもしれない)

アンドレ・ボーシャン

別のフロアに降り、続いてはアンドレ・ボーシャン。ここで入口に掲げられていた(最初に引用した)メッセージを思い出す。コロナ禍で、こんないい展覧会やってくれてブラボーだわ!素晴らしい企画だと感じた。まだボーシャン見てないのに。企画した学芸員に「これは大成功だと思います!」と言いたくなった。東京ステーションギャラリーっていいとこ付いてくる憎いくらいの展覧会やるんだよね。余談ですが「良さそうな展覧会だな!」と思って見るとステーションギャラリーのことが多いんです。褒めすぎたか?とのかくいい企画をする美術館の印象あります。

さて、ボーシャン。ボーシャンも良かった。まず最初に目が行ったのは人々の顔がいい。表情がいい。そしてボーシャンの絵には、藤田の絵に出てきたけど、さらに花がたくさん出てくる。その花がなんとも美しい。花が生命を謳っているような。「花は生きてますよ〜」って声が聞こえた。てか生きてる花を描ける人だと見えた。ボーシャンにはボーシャンの、藤田とはまた違う色の生命エネルギーを感じた。しっかし本当に花がいいんだよね〜。ここでボーシャンの経歴。ボーシャンは48歳まで苗木職人として働いて、48歳から絵を描き始めたようです。です。です!ですか、、道理で。花に対する理解が大きいのは、ずっと近くに花があったからか〜と勝手に解釈。普通、花からこんなエッセンスだけを抽出したような絵は描けないもの。そして、もう一点、花を描くとき、背景が野外なの!これ、珍しいな〜と。お日様の下に花を置いて描くのも苗木職人が成せる技なのか、、素晴らしいと思った。

アンドレ・ボーシャン「川辺の花瓶の花」

藤田もボーシャンも花をモチーフに沢山作品を描いていて、どちらの花も捉え方は違えど、かなり魅力的だった。ボーシャンはフランスだからかカラッとしている絵の印象。藤田の方はどんよりとした昭和の匂いを感じた。そしてまたファンタジーの世界と繋がっている配置や構成と「何くそ!生きてやる」という呪いのような熱意を感じた。

この二人、経歴を見ると、、どちらも恵まれた人生ではなかった。絵に経歴って、関係ないっしょ、、と言いたくなる時もあるが、人生が顔に出るように、やはり美しさを描く人は、、苦難に苦難を重ねたような人生だからこそなせる技なのかもしれない。

ボーシャンは妻が精神に異常をきたして入院、父から譲り受けた農園も倒産したりとかなり悲惨な状態、藤田は藤田で48歳の時に脳血栓で倒れて右半身が不髄になったり画家として致命的な状況となり一度画家を廃業したりしている、、。想像しただけでも苦しみは半端ない。二人ともその時、その瞬間にきつい現実を直視してる。

画家として一度死んで復活した藤田。そして初めて絵を描いたのボーシャン、、どちらも50歳手前。信じられないけど二人とも復活の呪文でも使ったかのようにこんな生命エネルギーに満ち溢れた作品を作っていくのだから「すんごい!」としか言いようがない。

創作する人のモチベ、原動力


ここで私の勝手な推測になるが、私は芸術に関わる人の原動力は、なんかを埋めようとしてる人が多いと思ったりする。これらの人の共通点は、過去に人生にポッカリ穴が開いてしまった人や継続的に穴が空いてる人で埋めようとしてる人、社会の普通と乖離がある人、自分の中の欠陥や不足を人生をつかって埋めようとしている人が多いのではないか、、と。どん底で見た美しさが希望だったのか。いや、そうだよ。そう思うわ。その作るという行為自体が、ヒーリング効果があるのかもしれない。そこに私は「やらなきゃいけない」生命エネルギーたるものを感じてしまう。何か欠けている人や、失ってしまった人が、必死に欠けているピースを取り戻そうとしていうパワーのような気がする。「俺、生きます、、生きますので!」というような。ま。そういうサンプルもある、、よねと。平和に生きてたらアートとか音楽とか必要ないのかも、、な?とか。だけど、創作行為は作家にとって必要なものなのだ!絶対にやらなければならないのだ!とか思ったりもする。じゃないと続かないっしょ勝手な推測ですが。そんな姿や取り組みを見ると、心を震わされる。

作品と向き合う(勝手に解釈して自分と会話させる)

この前、九段さんが「テクストと本気で会話することが最大の読書」とおっしゃられていたが、私は展覧会に来ると自分が誰だったか?何時代の生物か?忘れて作家の人生と必死に向き合う作業をひたすらしてるな、、最近と思った。自分の心が丸裸にされて、僅かに揺れ光る俺の生命エネルギーが、その作品と向き合うような、、。いや、言い方を変えれば作家の魂が作品を通して、私の中の何かを呼び起こすとも言える。私の中の小鳥をムンズと掴まれて「どういう風に生きてきたの?」と問われているような丸裸状態になってしまう。そんな丸裸の状態で、「ヒィぃぃ」とか声を出す。そしてかろうじて出てきた声をメモをしたり「俺は一体何をやっているんだろう?」なんて考える。それは「対話」している状態なのかもしれない。もちろん作品の方の声は自分が勝手に感じ取りながら話しかけてるんですが。そう思うと、作品の声というのは、見る人の分だけあるな、、なんて。絵画に言葉を勝手に持たせて自分に向かって話しかけてるんだと思う。絵画は声が出せないから、自分が吹き替えしてるという。結局、自分が自分に言ってるみたいな状況になってる。

絵に出てくる登場人物にはストーリー有り。映画の途中の切り抜きのよう。

ボーシャンの人物の描き方にすごく惹かれた。絵の中に出てくる人たち人たちが何か話してたり、何かのポーズを取ってたり、、何やってるんだろう?瞬間冷凍されて切り抜かれたようで、「おもしろ!」と思ってしまった。

いや〜、、二つの対比すごく良かったな。改めて、ステーションギャラリーの方、素晴らしい展示でした!と思いながら最後の部屋に行くと、、藤田と、ボーシャンの作品が2点ずつ並べられて、「作品の比較を通して見えてくるもの」と書かれた文章がドーンと書かれてた。「最後にこれかよ!マジか!参った!」ひっそりと対比のようにも置かれた2枚の絵、、計4枚の絵に、、「いや〜素晴らしい展覧会!」と唸ってしまった。

明日までですが、よろしければ見に行ってとても楽しめると思います!



締めの言葉

映画館だったら、その都度その都度「ちょっと待てよ、、これって、どういうことだ?考えたい!ストップ!」みたいにできないもんね。展覧会だからこそ、メモを勝手にこしらえながら歩くと本当に面白い。最近変な楽しみ方を覚えたようだ。じっくり集中して見るとお腹もペコペコになった。さ〜〜てと、現実に戻るか、、今日、次に行きたいところは、、スマホを取り出した。各所からメールやらLINE!。ん?どうした?LINEを見る「安倍さん撃たれた。」????ニュースのポップアップにも「安倍元首相が撃たれて重症」との見出し。ええ???なんだって?いやいやいや。なんてこったい!どういうこったい!?ゴルゴ?ヤクザ?ちょっと頭を整理できない。さっきまで美術館にいて、悠久の時を過ごしていたのに。別の軸では大変なことが起こってしまったそんな気がした。ん〜〜〜。今はちょっと考えたくない。もう少しボーシャンと藤田の残り香を楽しみたい、、というわけでスマホを閉じた。いや〜〜。
「とても穏やかな午前、そうではない午後〜午前編〜」終了。

午後編は、、いつか書けるか、未定です。

いいなと思ったら応援しよう!

黒岡まさひろ
いただいたチップは活動費として使わせていただきます。

この記事が参加している募集