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アウシュビッツに行った

10ヶ月間のチェコ留学が終わりに近づいてきた5月のこと。
ホストブラザーが修学旅行でアウシュビッツに行くと聞いた。

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小学生の頃、学校図書館においてあった『まんが 世界の歴史』と出会った。面白かった。それまで歴史になんて全く興味がなかった私が、毎日のように図書館に通い全巻読破するほどには。

それ以来なんとなく歴史への興味は続いていったが、中学に入って、かつて考古学をやっていたという気のいいおじさん先生と出会えたことで、さらに興味に拍車がかかった。先生の授業はとてもユニークで、歴史の登場人物になりきった寸劇を披露してくれたりした。あまりにドタバタとうるさいので下の階から苦情が入ることもあったが、退屈な授業が並ぶ中で、唯一印象に残っている授業だ。

そんなこんなで歴史好きになった私は、興味の赴くままに、時代も場所も問わず手当たり次第歴史の本を読んだ。そこで出会ったのがナチスについての本だった。第一印象は「怖っ」。ユダヤの人々が想像を絶する方法で痛めつけられ、殺されていく。平凡な日常がある日突然絶望に変わる。仮にフィクションだとしても作者の性格を疑うほどの出来事がたった数十年前に起こっていた。それまで遠い過去の話だった歴史が急に身近に、それも鋭い凶器を持って迫ってきたようで、身震いしたことを覚えている。

なぜこんなに恐ろしいことを人間が人間に対してできるのか。中国での例、カンボジアでの例、日本軍の例、学ぶにつれ漠然とした恐怖が「集団の力学」への疑問へと形を変えた。ハンナ・アーレントが「凡庸な悪」と言ったのは有名な話だが、それは過去の話ではなく、今まさこの瞬間に起こりうることなのだ。
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人生で一度は行ってみたい場所の一つがアウシュビッツだった。私にとってアウシュビッツは「世界史上に残る負の遺産」であると同時に「いつか行き着くかも知れない最悪の未来」だ。それをこの目で見ることでなにか大きな発見があるかも知れない、そう思っていた。

一緒に連れて行ってくれと頼み込んだところ、ホストファミリーの協力とチェコの学校の緩さに助けられ、なんと修学旅行に同行できることになった。4時間に渡るバス移動の後、アウシュビッツに到着。チェコ語のガイドの言っていることを必死に追いながら、6時間程度のツアーに参加した。

結果から言えば、初めてのアウシュビッツはある意味では期待通り、ある意味では期待外れであった。

殺されていったユダヤの人々の髪(かつらとして売られたらしい)、身につけていた服、メガネ、靴、そして恐怖に怯える子供を必死になだめる母親の写真、引っ掻き傷だらけのガス室。そのどれもが注釈をつけるまでもなく、静かに、リアルに、恐怖を伝えていた。やはり本でどれだけ読んだところで、映画をどれだけ見たところで、現地を訪れた時に感じるリアリティにまさるものはない。その点では非常に見応えのある、訪れる価値を感じる場所だった。

では一体何が気に入らなかったのか。
アウシュビッツはそこで行われた残虐な行為を、これでもかと見せてくる。でも、そこを訪れている人はどこか他人事だ。真剣に見入っている人もそれほど多くはない。なんだかアウシュビッツが、「ポーランドに行くならとりあえず行っておくべき観光地」としてしか見られていないような気がした。必ずしもシリアスになる必要はないのかもしれない。「観光地」としてでも訪れる人が多いことでその歴史が風化することを防げるのかも知れない。でも、世界中が不穏な空気に包まれる現代において、アウシュビッツから学べることは少なくないはずだ。単なる観光地としてではなく、単なる遠い昔の負の遺産としてでもなく、まさに今これから起きるかも知れないディストピアとしてアウシュビッツをとらえることが、求められるのではないだろうか。

もう一つ、不思議に思ったことがある。アウシュビッツの中に、笑顔で騒ぎながら記念撮影をしているイスラエルの人々の集団がいたのだ。彼らにとってナチスの記憶は忌むべきおぞましい歴史であるはずだ。実際、「二度とこのような歴史を繰り返さないように団結しなければならない」といったような趣旨のスピーチをして拍手喝采をさらっている人もいた。でも、なんだか過去の歴史を都合よく利用する、犠牲者意識ナショナリズムのようなものを私はそこに感じてしまった。その時抱いた感覚を、イスラエルがパレスチナに侵攻したとき、再び思い出した。あながち気の所為でもなかったのかもしれない。

そんなこんなで複雑な思いを抱えたまま、アウシュビッツを後にした。
これが私のアウシュビッツ初訪問の思い出。

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