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人間というデバイス

PCパーツと人体の共通点

PC界隈で初心者に語られるありがちなお話がある
店頭で新しくパソコンを買うときの注意するスペックはこれだ!とか
自作PCを始める上で、最低限これを見よう!とか

その内容としてはこうだ。
「CPU」と「RAM」と「HDD」を見ればわかるよ。という感じ
英語苦手だったら大文字の英字が並ぶだけで放り投げるだろう。

なので、先人たちは簡単にしてみたのだ
それが以下の画像

脳=CPU : 机=メモリ : 本棚=HDDに対応していると考えられる
よいCPUは処理能力が高い:メモリの要領は机の広さ:HDDの要領は本棚の大きさ

これでもわからない人はまぁ、もう仕方ないのでなんとなく感覚で理解していただけたら幸いです。

これに置き換えることができるということは、逆もしかりで
人体もパーツに置き換えることができるのだ。

PCスペックとは

PCを自作したことがある人ならばわかると思うが、そのPCで何をしたいのかで必要なパーツ構成が変わるだろう。
ゲームや動画編集を始めとしたハイスペックが要求されるPCや、ネットサーフィンができればいいロースペックPC等がある。
一言でハイスペックと言っても3DCG作成が得意だったり、それぞれパーツによっても特性があり、何をしたいか?で自由に組み合わせることができる。
そして、先述した通り、それらは人体のパーツにも当てはめて考えることができる。

「得意不得意」はパーツ特性

パソコンに特性があるように人間にも特性がある。
計算が得意だったり、絵を書くのが得意だったり、話すのが得意だったり
そういったものは大体「個性」「得手不得手」と捉えられることが多いだろう。
ちなみにこれは脳の性質で、CPU性能とも言える。

デバイスの個体差について
少し具体的な例を挙げてみよう。
最近、HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という言葉をよく聞く。
これは「非常に感受性が強く敏感な気質もった人」という意味だ。
これは分かりやすい。センサー感度が良すぎるのだ。

機械いじりしている人ならわかると思うが、センサーや電子部品には個体差がある。やたら感度がよく、すぐに壊れてしまったり、感度が悪く、いつまでも動作が安定しなかったりとか。

そう考えると体質で困っている人には大変失礼ではあるのだが、残念なことに人体はパーツを交換することができないので配られたパーツでどうにかするしかないのだ。
こればかりはどうしようもない。

しかしながら、自分がデバイスであるという自覚を持つことができれば
少し気が楽になるのではないのか?と考えている。

私は鈍感で、つい期待して人に求めてしまう気質で
つまらないことをいつまでも悩んでいたり、怖がりな人に対して冷たく接してしまうようなことがままあった。

しかし人間にも機能の向き不向きがあって、各々その性質に則って生きていると考えたらあまり人に求めなくなった。という経験がある。

社会というOS

話が前後してしまうのだが、自作PCを語る上で忘れてはならないのは
OS(オペレーションシステム)」だ。
オペレーションシステムとは、windowsやAndroid・iosと言った統括システムのこと。
あるのが当たり前になってしまっているので、あまり実感がわかないかもしれないが、電子デバイスを人間が操作しやすいようにデザインした基盤だと思えばいい。

これ人間に当てはめると何になるかというと、大見出しにもある通り
社会」なのだ。
人間の動作原理は基本的に社会性を軸としている。
社会を運営することを目的として行動が決まってくる。

小さい頃から叩き込まれる、社会で生きていくためのルールや行動規範・貞操観念から、様々な物が含まれる。
しかし、これは時代や育った環境によって変わる。一定のものでない。
WindowsやAndroidがアップデートを繰り返すように、社会というOSは常に変化しているのだ。

しかし、これには重大なバグが存在していてCPUや体というデバイスにあったバージョンでしかインストールできない。
そのため千差万別、同じ人間がいない、という現象が起きるのだ。

現代社会が抱える理想と矛盾

現代社会は押し並べて皆が普通で平らであることを求められる。
更に、ひとまとまりで社会に放り込まれ総合的な仕事を求められるのだ。
これによって何がおきるかというと、その社会にマッチしたスペックの人間だけが評価され、それ以外の人間はマッチせずあぶれる、という現象だ。

理想としてはどんな人間でも同じように働き、生産性を全体で押し上げていくことをスタンダードにすることなのだが、現実としては全員違う生き物であるので、スペックが一致しないからこれはかなり難しい。

みんな向き不向きがあることを頭では理解しているが、それを認めると社会から外れてしまうことを心の底で恐れている。

それでいて、もしもマッチしていても現代社会の仕事で求められるスペックが高すぎることで、ギリギリ息継ぎしながら苦しみながら生きて行くのが現代社会であると心の底から感じている。

前を向く体デバイス

当たり前のことをさも新しいことのようにつらつらと書き連ねたが、何を言いたいかというと。
「人間は特別なものでなく、ただのデバイスである」と言うことだ。
(ちなみに意思や思考は社会や環境によって生成される。)
体調不良や社会にマッチしないと感じたら、「デバイス不和やなぁ」でメタ認知して前向きに生きていくしかないと感じた。

あと、SNSの発達で分断も進んだが、相互理解も進んでいる。
結局のところ社会に足りないのは相互理解と敬意であるとしみじみと思うのであった。

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