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能と狂言のしょ【室町時代に遡る】

これまで黒川能に関して書いてきましたが
そもそもの能や狂言について触れていなかったので
能や狂言の成立から用語解説やらをしようと思い書きはじめたところ思いの外長くなりました
#1 成立などの歴史
#2 能の用語解説や種類
#3 狂言の用語解説や種類
それぞれ分けます

能楽は能・狂言からなる古典芸能

謡と舞を中心とした歌舞劇
主に主人公(シテ)は能面をつけ豪華な衣装(着物)を着用
地謡や囃し方による器楽演奏がある

能の成立

能は室町時代に大成した最初の総合的な舞台芸術
源流をなしているのが猿楽(申楽)田楽です

猿楽(さるがく)・・・中国から伝来した散楽の流れを汲み滑稽な歌や舞に物まねを中心とした民主芸能

田楽(でんがく)・・・田植えの折に豊作を祈願するための歌や舞

両者が影響しあいながら楽劇としてのかたちを整え
各地の寺社の保護を受けて専門の芸能者集団がうまれをくんで活動するようになった
大和・丹波・近江・伊勢・宇治などで形成され
なかでも大和国で活動していた
外山(とび)座
円満井(えんまんい)座
坂戸座
結崎座

の4座が特に知られており
大和猿楽四座と称され現在の流派につながる

当時都では猿楽より田楽のほうが評価が高く足利尊氏などの権力者も田楽を後援していた
大和結崎座
(やまとゆうざきざ)を率いる観阿弥清次(かんあみきよつぐ)は所作のおもしろさに音曲(謡)の楽しさを融合させ洗練された美を備えた能を演じた
上層階級の鑑賞にも堪えるものとし将軍足利義満にも後援され
それ以降将軍はじめ有力武家・公家らの愛顧を得る

観阿弥清次

興福寺や春日神社などの神事能に奉仕する大和猿楽四座の結崎座の一員として大和および近隣の各地で活躍していた
1370年頃から京都周辺へも進出する
1375年頃に猿楽能を足利義満が見物し(上記)
それ以降は一座は幕府のお抱え的存在とみなされるようになる

観阿弥に関して記されているエピソードとしては
観阿弥の父があるとき春日神社より
「子を楽人として神に仕えさせよ」との神託を受け
三男である観阿弥に結崎氏を名乗らせ春日神社に捧げたというものがある

世阿弥元清(ぜあみもときよ)

父の観阿弥の後を継ぎ能を大成した
12歳で義満に認められ長く寵愛・庇護を受ける
21歳の時に父の観阿弥が没し世阿弥は二代目棟梁となり観世座(前身は結崎座)を統率する
観阿弥から受け継いだ芸に
優美な芸風で歌舞にひいでた近江猿楽の犬王道阿弥(いぬおうどうあみ)の影響が加わり歌舞性にも富み
幽玄味の漂う格調高い能を完成した
能役者であり謡曲の作者でもあった
現在も上演される50曲近くを残す
能の理論家でもあり能楽論書を著している
72歳で佐渡に配流されその後消息不明

風姿花伝(ふうしかでん)

世阿弥が著した能楽論書
1418年頃成立
『花伝』『花伝書』とも呼ばれる
全7編
観阿弥の教えを基に書かれている
年齢に応じた稽古のあり方・男・女・神・鬼の演じ方や芸道上の心得
能の美学の中核をなす〔幽玄〕〔花〕に関する論など

秘すれば花なり、秘せずは花べからず、となり。
この分け目を知ること、肝心の花なり。

風姿花伝

花鏡(かきょう)

1424年成立
風姿花伝以降の約20年間の著述を集成したもの
序破急(じょはきゅう)の事
幽玄論
初心忘るべからずの論
など演技論を中心としたもの

*序破急は構成上の一形式
序=無拍子
破=中間部分で変化のある拍子
急=最終部分で速い拍子

申楽談義

1430年成立
晩年の芸談を世阿弥の子元能(もとよし)が筆録した
世阿弥からの伝聞を収録したもの
内容は多岐に渡る
芸能史の資料として貴重な書となっている

狂言

能と同時期に確立された
猿楽の滑稽・風刺・物まねなどの要素を受けた
猿楽能・田楽能の滑稽な部分が狂言となり能と分かれる
簡素な舞台と衣装(多くは面をつけない)で少人数の登場人物によって
対話と独白で演じられる庶民的滑稽劇
室町時代の口語を現代に伝える
一幕物のせりふ劇
近年は能とは独立して演じられることも多い

室町時代以降の能

室町幕府衰退以降も戦国武将の庇護を受け
中でも豊臣秀吉は大和四座の身分を保証し領地を与えた
江戸時代になると徳川幕府は猿楽を式楽と定め
地方の藩でも専属の演者を抱えるなど武家社会の芸能として定着していく
明治維新により徳川幕府が崩壊すると式楽の担い手として保護されていた役者たちは失職し存続の危機を迎える
これに対し岩倉具視を始めとする政府要人や華族たちは資金を出し合い猿楽を継承する組織「能楽社」を設立する
それまで屋外で行われていた上演を屋内でも可能にするため
室内に屋根のある能舞台を収める様式が生まれ
これが現在の能楽堂というかたちに繋がる
能楽社発起人らの発案で
猿楽から能と狂言を合わせて能楽に改められた

あとがき

今回は能と狂言の歴史
猿楽から能楽に至るまでをさらっと書きました

武家社会での能は
以前書いた酒井家との関わりにも通じるものがあり
黒川能が酒井家に庇護されたのもこういった時代背景があったのかと再認識しました

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