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<哲学入門>”全て繋げて”哲学史を理解する方法 前編


実は哲学史のテーマはずっと同じ方角にある?

 哲学史ではたくさんの哲学者が出てくる。 
一番人気?の↓この本ですら31人も出てくる!

 でもこの本はとても読みやすい。
 それはテーマごとに説明しているからだ。真の真理、神、国家、存在の真理などに順番に広げていく。

 ワタシは、哲学入門に古代、中世、近代~ などと単に時間軸で追うのからスタートするのは面白くないと思っているので、この本が人気なのは個人的に納得しているし嬉しい。

 ということで、今回はそれをさらに推し進めてカンタンに哲学史を捉える見方を書こうと思う。

具体的には、
 ①テーマを一つにまで減らすこと
 ②そのテーマは
哲学と自称・他称されるもの全てを扱えるものであること

以上の二つを満たすかたちで、話を進めていきたい。


今回のテーマ 哲学=”思想の正当化のための歴史”として解釈していく

 すべての哲学は思想の正当化のために存在している、という視点だけが、今回の一つのテーマです。シンプル!

 ちなみに、今回の哲学のカテゴライズには、宗教も含めてもいいし、なんなら科学も含められます。それでも話としては破綻しないハズ。

 なぜか?
 それはさきほど例にあげた『史上最強の哲学入門』の31人の中にニュートンやイエス・キリストが含まれていることから察してほしい。

 その二人に限らず、科学的な真理や宗教的な真理という区分に関係なく、正しいことを述べるためにはロジックが必要です。
 誰かに何かの現象を「これは〇〇なんだよ」と説明し納得させるためだったり、宗教的・道徳的に「△△なときは、こうしないといけないだよ?」と言い聞かせるためには、そのあとにくる「でも、なぜ?」に応えなければならない。それに対して「〇〇はこれこれこうで~ だから✕✕なんだよ~」と正当化の論理を述べる。(ちなみに理由を聞いていけない場合はタブーの正当化の論理があるので結局同じ!)

これは一般的にいう学問という範囲におさまらない活動ですが、この両者がやっている「でも、なぜ?」とそれへの応答こそがまさに哲学なはずです。

さてでは実際の哲学思想をそういう目で見ていきましょー。


古代ギリシャ <神から、神&人、神は神で人は人、 etc…>

 とりあえず起点として神を入れましたが、これは便宜上です。
 典型的な古代ギリシャからスタートする哲学史観では、「最初は神話(ミュトス)への信仰があり~」となりますが、同時期の中国ではそうではないですし、ペルシャやインドにおいても、ギリシャと同様の形ではなかったでしょう。

 例えば、古代中国の思想は古代ギリシャ神話のゼウスの神々の一部に人間性を見出すような”神の擬人化”のような形ではなく、逆に人間を神のように見なす”人の疑神化”のような形を多く取ります。代表例として伏羲は神であり、人としての帝王であり『易経』という儒教の本の著者としても扱われます。

 とは言うものの、起点として古代ギリシャ神話からスタートしたほうが分かりやすいのそうします(笑)



 古代ギリシャ神話は、いわゆる自然神たちの物語です。
 最高神のゼウスは天空神であり、雷神でもある。
 そのゼウスの兄弟であるポセイドンは海と大陸の神であり、地震なども司どっています。

 この時点で現代的な自然(ピュシス)と神話(ミュトス)という区分は明確にできません。つまり「雷とは何でなぜ落ちるのか、?」「雨とは何なのかという自然現象の説明神話によって正当化されていながら、自然現象があるからこそ担当の神の存在が正当化されるということでもあるからです。

 しかし、神話的な価値観は人を緩くまとめるのには十分ですが、大きくなってくると難しくなっていきます。ホメロスやヘシオドスの神話的な書物の言葉を引用するだけでは、社会が成り立たないわけです。例えばゼウスは「ディケー(正義)が大事であってビアー(暴力)はよくない!」というようなことを言っています。
 ですが、たとえば私たちの社会から警察的・軍事的な暴力を単に排除することは社会の脆弱性を生みます。それは古代においても同様なわけで、内政的・外政的にも暴力は必要だった。

 そして紀元前6世紀、古代ギリシャ・アテネのソロンは改革で法を整備しましたが、この時にソロンは「ディケー(正義)とビアー(暴力)を私の権限で調和させた」と述べている。



哲学=正当化の手続き上でのレスバの結果or道具

 つまり、哲学的な決定権の手続きの序列がレスバの結果あるいは、そのための道具として、(あるいは後天的な社会勝利の正当化として) 「神→人社会」ではなく、「神→ソロン→人社会」という形に新しく正当化されたのです。

 正当化は基本的に、ソロンの例のように既存の正当化の手続きに修正を加える形で行われます。例えば中世ヨーロッパの宗教改革は「神→教会→信徒」ではなく、「神→聖書→信徒」という原典に則っているという手続きを実現しようとレスバトル→戦争になりましたし、例えば明治維新であれば「天皇→幕府→藩」という序列を天皇の正当性を起点に「天皇→新政府」という形に修正しようとした。中国における「易姓革命」も同様でしょう。
 それ以外にも多神教の国家が侵略された結果、支配国の神話大系と接続される場合なども、同様の正当化手続きが行われていると言える。実際に現代のユダヤ教、キリスト教、イスラム教の信徒たちの間でも、融和的な信徒の思想としては、自分たちを同じ啓典の民として手続きを共有していると言える。


 古代ギリシャから 古代ローマへ <正当化しないという正当化>

 古代ローマ帝国の始まりは、紀元前509年に王政を打倒して共和制国家を作り、その国があったところを”ローマ”と名付けたことから始まる。
 彼らは「神→王→人社会」というような正当化の手続きを取らない。建国自体が当時の王政の身分制度などに反対した市民層によるものであるので、旧支配者階層である彼らは誰かに”正当化”を行う必要がなかったのかも知れない、革命のための協同においても”実際の社会での不満”が協同させたと見ていいのかもしれない。

 これは帝国化してもすぐには変わらなかった。彼らは哲学的な探究にはあまり興味を示さず、実務的な法整備を優先した。彼らにとっては法は手段ではなく目的であり、それの順守が道徳であり、そこに正当化は必要なかった。なぜなら、正当化を必要とする対象=同階級の市民のロジックに神などが最初から含まれていないからである。つまり「法→人社会」というとてもシンプルな正当化構造である。

 また支配される各地域=属州の人たちとしても、彼ら自身が自分たちの明確な法を持たない以上、アレルギー反応のような拒否も少なかったようである。ただし、”自らの法”を持つユダヤ人などとは極めて相性が悪かった。
 彼らの正当化のロジックはシナイ契約などをベースにした「神→契約→人→人社会」である。また契約という法的な順守性を持つ内容が含まれ、かつ対するローマ文化は法そのものが目的なので、たとえば「ローマ法の源流が実はシナイ契約から来ていて~」という正当化手続きも難しい。
 (またそんな正当化が必要ないほどに、ローマの軍事力は強かった)

 そして哲学に興味を示さなかった関係で、彼らは法という思想の正当化の維持において、哲学的・宗教的な”正当化の手続き”をローマ帝国自体も、そのローマ法外形にも取り込まなかった。結果として、領内にはキリスト教を含めた多様な哲学的・宗教的な目的を持つ人たちが生まれ、ローマ帝国のバランスは乱れることになるわけです。

 これはローマ帝国に支配された国たちは、強力な法を持たない国家たちだからこそ、法にアレルギーが無くそれ受け入れたわけですが、逆にローマ帝国は”強力な哲学的手続き”を持たなかったゆえに、それに免疫がなかった。結果としてどれだけ弾圧してもキリスト教の広まりを止められなった、というわけです。

 そういう状況で「法」という正当化手続きを守るために、コンスタンティヌス1世~ユスティニアヌス1世までの流れにおいて「法→人社会」ではなく「神→法→人社会」という神という上位存在によって、法の正当性を維持する構造へシフトしていくのである。

(これに対して、例えば現代日本国もローマ帝国に負けず劣らずの法治国家ですが、日本法は紆余曲折を経て「人権(すべての個人)→憲法→法→人社会」という形で哲学的正当化をしてきているので、宗教に対して免疫を持つと言えるでしょう)



次回へつづく

次回はルネサンス~市民社会の正当化の変遷かな?
「神→法→人社会」という正当化の哲学的な手続きの中に、「個人」が出てくるようになってくる理由にも触れていきたい。


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