クロカワの「本当に大事なことってなんだ?」

哲学的な観点、ことの本質をとらえながらいろいろな読みモノを提供してきたいと思っています。

クロカワの「本当に大事なことってなんだ?」

哲学的な観点、ことの本質をとらえながらいろいろな読みモノを提供してきたいと思っています。

最近の記事

 「小泉構文」ってカントの「定言命法」に似ている。  小泉進次郎もカントも実はローティの「ファイナル・ボキャブラリー」と同じものを扱っている感。  3人とも自然言語による限界としての”循環参照”を起こしているのかもしれない。おそらく、非言語的 or 未言語化な思考がそこにある。

    • ロールズ入門に最適そうな一冊を発見!

      値段のわりに中身がある  新書なので1000円以下だが、ロールズのコアとなる思想を感じられた気がする(『正義論』「政治的リベラリズム』の双方ともまだ原著も邦訳も未読なので、まだ気がするという段階)  内容ついては読んでほしいので、特に詳しくは触れない。  ただ、どういう趣旨でどういう語り口でまとめられている本かをさらっと紹介したい。 『正義論』と『政治的リベラリズム』はロールズの考えの段階的な結実にすぎない  この本はロールズの関心のうちの変遷した部分と、変遷せずに

      • ちょっちょっ! カンタンに哲学者を尊敬しないほうがいいよ!

         正直に話すと、ワタシには特に尊敬する哲学者はいない。  しかし、それは歴史を記し、歴史に記されてきた大きな哲学者たちを尊敬していないわけ、ではもちろん無い。とても尊敬している。  が、”特に誰かを挙げたい"とは思わない。  なぜか?  それは、安易に哲学の歴史的な系譜の中に取り込まれたくないという思いがあるからです。僕が哲学を語るとき、あるいは僕の哲学が語られるとき、その考え方の因果としての”原因”や”環境”や”情報”は、”社会”そのものであってほしいと思うからです。

        • <哲学入門>”全て繋げて”哲学史を理解する方法 前編

          実は哲学史のテーマはずっと同じ方角にある?  哲学史ではたくさんの哲学者が出てくる。  一番人気?の↓この本ですら31人も出てくる!  でもこの本はとても読みやすい。  それはテーマごとに説明しているからだ。真の真理、神、国家、存在の真理などに順番に広げていく。  ワタシは、哲学入門に古代、中世、近代~ などと単に時間軸で追うのからスタートするのは面白くないと思っているので、この本が人気なのは個人的に納得しているし嬉しい。  ということで、今回はそれをさらに推し進め

          Zガンダムの第一期OPから哲学の波動を感じる、、、<前編>

          作品の意味を勝手に解釈するということ  いろいろな音楽を聴いていると、「あ、この曲はまるで哲学的だなー」と感慨深くなることが多々あります。まあ、勝手につなげているだけなのですが、ただしそれも音楽の正しい楽しみ方であり、哲学のひとつの正しい見方でもあるとも思っています。  どういうことか?   創作物の意味や価値は、作者が決定しきれるものではないというような考えでモノを見る選択肢もあるということです。  哲学・文学が数多と生み出してきた価値観の中に『作者の死』というものが

          Zガンダムの第一期OPから哲学の波動を感じる、、、<前編>

          「本覚思想」なる興味深いものを見つけたので紹介! 一切の衆生に本来的に具有されている悟りの智慧、とのこと。 https://plato-blog.com/archives/934#toc2 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%A6%9A 私は相手を良い意味で無害に誤解する切り口で哲学しているので良さ気感ある。

          「本覚思想」なる興味深いものを見つけたので紹介! 一切の衆生に本来的に具有されている悟りの智慧、とのこと。 https://plato-blog.com/archives/934#toc2 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%A6%9A 私は相手を良い意味で無害に誤解する切り口で哲学しているので良さ気感ある。

          スーパーの蟹コーナーで哲学と出会ってみる <蟹、性別、人の区別>

          スーパーに行く。タラバガニがいる。  スーパーの蟹コーナーに行ってみると、何種類かの蟹がいる。  (スーパーでそんな高級品を買うかどうかは別にして)  ズワイガニやタラバガニなんかの有名どころが目につく。  だが皆さんはご存じだろうか、ズワイガニは”蟹”だが、タラバガニは”ヤシガニ”である。蟹ではない。  Wikipedia タラバガニ 「〇〇は△△だ」は時、場合、分野=TPOによる。  先ほどの話で気付いてほしい点が4点ある。  ①タラバガニは学術上は”蟹”では

          スーパーの蟹コーナーで哲学と出会ってみる <蟹、性別、人の区別>

          <哲学入門>いろんな〇〇論が、すべて哲学にまとめられる理由

          存在論、認識論、実在論、実存論 etc…  哲学には非常にいろいろなテーマがあります。  名前の通り”存在”とは何かとか、存在”する”とはみたいな方向で、実体としての扱える物体についてザックリ考えていくと~、それが存在論。  それが人がモノを”認識”するとは何とか、認識”する”とは何かと考えると、認識論となる。  とりあえず存在論と認識論を挙げたが、ほかにも無数にある。哲学者個人の独自の〇〇論とかまで含めるとホントに沢山ある。  正直、さっさと一度ぜんぶ統合してくれ

          <哲学入門>いろんな〇〇論が、すべて哲学にまとめられる理由

          <哲学入門>哲学に分かりやすく、面白く入門できる本3冊。その読み方も。

          ★『史上最強の哲学入門』  とにかく色々な哲学者ってやつが何を真理として考えているのか知りたい!って人にピッタリ。 真理に関わるテーマごと32人の大物哲学者たちの「この人はこう思ってこう考えたんだよ!」がまとまっている。  真理というワードに惹かれる人、それに対する哲学者の考えが知りたい場合に最適。なおこの本で扱われるテーマは 不変の真理、国家の真理、神様の真理、存在の真理の四つである。(真理なのにいくつもあるのか!ってツッコミたい人はツッコミながら読むと楽しめる)  

          <哲学入門>哲学に分かりやすく、面白く入門できる本3冊。その読み方も。

          「誤解なく分かり合える、という誤解」の、その先にあるもの

          「誤解なく分かり合える、という誤解」のその先  「私たちは誤解なく分かり合えるか?」  この質問への答えは〇ですか✕ですか?  光の人なら一旦は〇と答えるでしょうし、暗闇の人ならば一旦は✕と答えるのではないですか?  ワタシはこの質問はパッと見ほどに高難度な質問ではなく、答えるだけなら単純だと思っています。✕でも〇でも、どちらでも正解となりうる質問のように見えるのです。ただし、ワタシがこの質問で重要だと感じるのは答えそのものではなく、その答えを導くためにどんな方程式を考え

          「誤解なく分かり合える、という誤解」の、その先にあるもの

          議論の前に「定義」をする人は、未来への放火魔なので私人逮捕しても良い。

           ある日「大人はどういう嘘を付くか?」というテーマで何人かで話をしていた。この時、この議論の結果を決めるのは誰かが「そのためには、まず大人を定義してからだね」と切り出すかどうかだと思った。  もし誰かがそう言って通りそうものなら、僕はこぶしを振り上げて大声でこう叫ぶつもりであった。「何を馬鹿なことをしようとしているんだ!」と。それはもう外から家に帰ったら、自宅に火をつけようとしている放火魔と出会ったほどの怒りをもって大声で叫ぶだろう。心の中で。  とまあ、定義というのはそ

          議論の前に「定義」をする人は、未来への放火魔なので私人逮捕しても良い。

          「ワタシたちに自由意志があるか?」という質問が無意味なたった一つの理由

            自由意志の問題は 97.2% 解決しているらしい「自由意志なんかねーよ!」 「自由意志はある!」  こんな議論がネット上でも、哲学的な問題としても古代ギリシャの頃から永遠と行われてきました。例えばYahoo知恵袋では、2024年6月12日のタイミングで「7204件」の自由意志についての質問がされています。  なお、うち7,004件は「解決済み」だそうです。  今はYahoo知恵袋があれば自由意志の問題は解決するらしい。  哲学者のやってきたことは無駄だったのだろ

          「ワタシたちに自由意志があるか?」という質問が無意味なたった一つの理由

          差別できる力だけが差別をなくせる

           差別のできない人は、物事を分別する理性が無い人なのかもしれないと思うことがあります。 差別と区別が分別できないパラドックス もちろん、これは私が差別を肯定しているわけではない。  差別は良くない。  しかしゼロにはできないし、無理にゼロにしようとしないほうが良い。  なぜなら、差別をゼロにするということは、人から差別の心がなくなったのではなく「こいつ差別しているぞ!」とそれっぽい人をすべて排除することを意味し、かつその排除を差別的なものではないと社会的に言い張っている

          準備できてないと諦めますか? ホントは「諦め」も「準備」も必要ない。

          「諦めるって逆に難しい」 諦められている人は、この記事を開かないと思います。 これを開いた人は、諦めきれない何かがある人ではないかと思います。 ですが実は「諦める」も「準備」も必要ないのではないでしょうか? 「今すぐやる」という情報が溢れかえる社会 2億61000万件  これは、Gooleで「今すぐやる」で調べた件数です。  アマゾンの書籍でも、書店の自己啓発本コーナーでも、なんならこのNoteの検索でもいいです。調べれば調べるだけ、「今すぐやる」為の情報とか、それを勧める

          準備できてないと諦めますか? ホントは「諦め」も「準備」も必要ない。

          科学、死す。歩く盲目科学ゾンビと、哲学の二人三脚。

          今回は「科学者、死す(流れロンギヌス槍で)」です。 という話を以前しましたが、今回の記事ではまず前者を以下のように掘り下げていきます。 科学は自分自身を殺してしまった(真理性を証明できなかった)という話。真理でなくとも良いのだというゾンビ的開き直りを遂げる話。 しかし科学だけでは目的なき盲目科学ゾンビになってしまったという話 そして後者を、 その目的なき盲目科学ゾンビも哲学(あるいは道徳)も合わせれば、非常に良い相互補完ができるという話で掘り下げていきます。 1章 

          科学、死す。歩く盲目科学ゾンビと、哲学の二人三脚。

          神殺し。科学は必ず哲学に助けられる

          自らを真理として自己完結できない科学 この社会おける科学の役割とはいったい何だろうか?  表現の仕方はたくさんあれど、  おおむね何かしらの行為を助ける物であるとか、何かしらの未知を確定する物であるとか、そのような答えとなるかと思われる。  ただし、例えば科学が何かを助けるためには、実は科学自身は”哲学”(あるいはそれに代わる何か)の助けが必須だと言ったら不思議だろうか?  あるいは、科学はいかなる未知も確定できない(真理と証明できない)と言ったら?  これは与太話

          神殺し。科学は必ず哲学に助けられる