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博物館実習に行くまでと終わった今

 ちょうど去年の今頃、「学芸員の資格を取ってみたい」と思い立った。思い立ったらすぐ動けるのは自分の良いところで、平日五日フルタイムで働く社会人が、それでも勉強できて、できれば学校という場所に通わずに授業が受けられて、資格を得られる手段を探した。
 で、私は働く社会人でありながらオンラインで大学の講義を受ける学生の身分を手に入れたのだった。それが去年の秋。11月ごろはレポート提出なので疲弊していたことがnote呟きから伺える。

 さて、その学芸員の資格について、現行の博物館法だといくつか取得方法がある。細かいことは調べてみてほしいのですが、とりあえず必要科目の単位を取得して、博物館実習というところまでクリアしたら、「学芸員になれる技術を一通り学んでスタート地点に立ちました」というところに行けるらしいことが分かった。
 これはどういう意味かと言うと(うまく言えないのだが)大学等で必要科目単位をすべて取得した後であっても「学芸員となる資格を有する」だけであり、博物館などで採用されて初めて「学芸員」と名乗れるということだ。よくよく考えれば、まあ当然だ。学芸員として働いたことがないのに、勉強をしただけで「学芸員です!」と名乗っていたら身分詐称である。学芸員(あるいは、その補佐をする学芸員補)になりたければ、きちんと勉強して、就職してください、ということである。

 こうしたことも、学んでいく中で知った。学芸員って、漠然と「博物館とか美術館とかで作品を展示したりしてる人」という認識でしかなかったが、半年間ぎちぎちに知識を詰め込んでいったおかげで、なんとか今は「こういうものだな」と思えるまでになっている。座学の必要科目単位はストレートで取ることができた。

文字ばかりで疲れると思うので、かわいいゼルダ姫を見てください。

 博物館実習とは、前述の座学単位をすべて取った者が最後に履修する科目であり、実際に運営されている博物館等に赴いて実務実習を行うというものだ。期間は館によるが、大体5日から7日ほどが多い印象だ。私が希望した博物館は10日間あり、つい先日、その実習を終えて帰ってきた。
 ちなみに博物館「等」と言ったのは、博物館は広義にとらえると美術館や動物園や水族館も含まれるからだ。大体は大学などで自身の研究テーマや専門分野を扱っている館を希望するのではないだろうか。単に歴史と言っても、日本史、西洋史、中国史など当然多岐に渡り、さらにそこから枝分かれして各時代の専門があったりする。考古学だって土器の研究をする人、石棺の研究をする人、大陸との関係性を研究する人……人の数だけ学ぶ先がある。
 私の場合は、現役大学生だったころに歴史学を取っていたわけでも、専門的に学んだわけでもなかったから、歴史学的な面から言えば全くのド素人だ。縄文と弥生の区別もほぼつかない。中世~近世初期の日本史に興味を持っていて、特に古文書などから見える歴史に興味がある、それだけのオンナである。そこから先は特になく、関連する本や論文などを読んだりするものの、オタクに毛の生えた程度で、その分野の有名な先生や「これだ!」と思う研究テーマを持っているわけでもない。自分本位の学びしかしていないのである。

 そんな私が、仕事の合間にせっせと詰め込んだ知識だけ背負って、県内の某博物館へ向かった。
 希望理由は単に、その博物館が特別な専門知識を必要としていなかったこと、私が仕事を休んでも何とかなる期間に実習を行う、この2点が満たされていたからだ。館の中心的資料(展示されてるものや扱われている作品を「資料」と呼ぶ)は考古学の分野である。当然、考古学の研究に携わる先生が多く、館の実務実習でもその分野方面の内容が予想された。
 中世とか近世の古文書は……あんまりやらないだろうなあ……。
 漠然とそう思いながら希望した。そのほかに行ける範囲の、少しでも興味ある博物館は、「〇〇分野を大学で研究していること」とかいろいろ条件があって難しかったのだ。県外に出るのは流石に物理的にしんどかった。出ても良かったと終わった後なら思うけど、希望先を大学に提出する頃は無理だなと考えていた。

 それでも、知らない博物館ではない。何度か個人的に訪れたことがある場所だったし、建物は綺麗で広い。古文書資料が一つもない、というわけではないし、なんなら中世期の古文書とかは普通に展示もされている。実習内容は行ってみるまで分からないが、もしかしたらワンチャンあるだろう。それくらいの気持ちで行くことにした。なかったとしても、考古学は全然やったことないから、専門分野の先生に何か教わるだけでも経験になるかも。
 大人になってよかったことは、大抵のことが「まあなんとかなるな」と考えられるようになったことだ。

ルンルンお料理ンク

 さて、実際に博物館実習へ赴いた10日間だが、結論だけ言うとめちゃくちゃ有意義な時間だった(急に語彙がなくなる現象)。
 館内で座学をしたり、展示室内で実技的なことをしたり、はたまたバックヤードでの作業を学んだり、時には広報普及としてチラシを延々袋詰めしたり……。館外に行くこともあった。私が行った博物館は某史跡の発掘調査に長年携わっている施設だったので、実際に稼働してる発掘現場へ赴き、史跡の説明やどのように調査が進められているのか学び、出土品の水洗いなども体験した。
 勿論、こうしたことは全部初めてだ。何度も言うけど考古学の「こ」の字もしたことないし、ぶっちゃけ自然史学と考古学の違いがよく分かってなかったくらいだ(恥ずかしいけど実習中にきちんと違いを理解した)。出土品を触ったり、それをきれいにしたり、展示の方法を学んだり……。大学の科目講座で学んだことの裏付けというか、実態を伴った『体験』ができたことで、かなり自分の中で『博物館での実務内容』が明確に形作られた。これまでの社会経験が生きたところもいろいろあった。

タイトル「こんなに赤ちゃんだったチューリ」

 10日は短い期間だった。長いと思っていたけど始まったらあっという間だったし、この実習中に現役の大学生たちとの交流も楽しいものだった。なぜ楽しかったんだろう? と考えた時、集まった全員が何かしらの歴史が好きだったり、頑張って勉強していたからだと気づいた。

 私って、これまで自分の歴史が好きとか、そういう気持ちや学びに対する頑張りを、誰とも全然共有していなかったんだと思う。なんていうかな、歴史が好きっていう友達はたくさんいるけど、一緒に「学んでいる」っていう友達はいなかったというか……。別にそれが悪いわけじゃないし、一緒にこれが好きだねって語り合える友達がいたことは本当に良かったと思っている。でも私は学歴コンプレックスが自分自身にあったし、「学び」に対して、誰からもレスポンスがない状態、正誤も何も分からない状態でやっていた。独学って、そういうことなんだろう。本当に独学だった。私は勉強がしたかったし、勉強に対しての成果や、評価が欲しかったんだと思う。同じ土台にいる誰かと話したかったんだと思う。
 学ぶことは嫌いじゃないから、このままずっと勉強していたいなって思う10日間だった。そう思える他の実習生たち、学びの機会を与えてくれた館の先生方がたくさんいたことは本当に幸運だった。
 「歴史が好き」って言ってもいいんだなあと思えた。好きと主張していいし、そこがスタートでいいし、勉強していいんだって。勉強したことを元に仕事を選んでいいし、生かせる何かを考えたっていい。
 私はすごく焦ってて、今の仕事もうまくいってないわけじゃないけど、楽しんでやってるわけじゃない。自分の何かを活かしてるわけでもない。一人だからどこにでも行ける代わりに、地に足がついてないから、いつまでもやりたいことが定まらない。実家の様子もまあまあ不安がある。そんな人、世の中にいっぱいいるって自分に言い聞かせている。やりたいことがやれるのは才能がある人、環境に恵まれた人、お金がある人、運がいい人。そんなのは全体のたった数%しかいないだろう。誰だって自分の最善にはほど遠い場所で我慢しながらやってるんだから、自分だってこれぐらいのことで(しかも他の人から見れば十分に恵まれているだろうことで)ぐちぐち言っちゃいけないんだって、ずっと思ってる。
 でも、自分のやりたいこととか、好きなこととか、一番にして頑張っちゃいけないのかなあってむなしくなることもたくさんあって。

 生活するためにお金を稼ぐ、お金を稼ぐために好きでもない仕事する。誰だってそう。でも、私だってよりよいとこへ行きたい。自分にとっての最善でめちゃくちゃ楽しい場所で何かしたい。いいじゃん、そうしたって、そう主張したって誰にも迷惑なんかかけない、誰かをぶん殴るわけでもない。
 いいじゃん、って自分に言える10日間だった。
 これが、私が10日間の博物館実習に行って学んだこと、実感したこと。学んだことって実際の博物館がどうだったこうだったってことより、ずっと多くの、自分が豊かになるためのことを考える期間になった。本当に良い場所に行って、良い人たちに出会えた。

意気揚々と作ったけどライネルに秒で壊された兵器

 こんなこと書き残すの、後で絶対恥ずかしいんだけどな。読んでくださってありがとうございました。

 余談だが、本日の記事ヘッダー画像は実習中に私が採った拓本である。(「取」じゃなくて「採」の字を先生は使われてた)初めてだけど割と上手いのでは!? 楽しかったな。

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黒田きのと
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