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今年の自分はどうだったか、冷静に自己分析タイム

 あと二週間ほどで2023年も終わるため、去年もやったような気がするし、軽く今年一年を振り返っておきたいと思いました。ました。最近の私はとにかく仕事をし続けていて、勤続22日を過ぎたところなのですが、労基に触れているわけではないので社会的に大きな問題はありません。問題があるとすれば、私の気合いと体力が残り二週間保つのか、という一点にあるくらいでしょうか。でも年末は実家の犬たちと戯れて、溜めているドラマと大河とアニメを見続ける寝正月を過ごすつもりなので、やはりなんら問題はありません。

 そんな年末年始の楽しみを迎えるためにも、ここらで一つ、冷静かつドライに自分の2023年を振り返ってみよう! なんかもうすぐクリスマスだし! クリスマスも仕事だしな! ミスドもケンタもない田舎に住んでいるので、クリスマスは大人しく仕事をして早く寝る予定です。

とりあえずグラフ化した

振り返りも兼ねて作ってみた今年のモチベーショングラフ。冷静に自己分析するにはもってこいのツール。クリックするともう少し大きく見えます。

冷静に自己分析開始

 私の2023年は、一言で表すなら「下り坂から始まるジェットコースター」だろうか。いや、最初の数ヶ月はそれなりに平坦だったはず。
 春以降、一気に調子が下がって、その下がり方はものすごく早いスピードだった。ぐんぐんぐんぐん下っていき、秋頃、底にぶつかった。ジェットコースターのスピードが……勢いが強すぎたせいで、途中で緩むことも止まることもできず、思い切りぶつかった。そりゃもう、ガツン! と。大変痛かったので、動けなかったんだけど、それでも仕事や資格実習などは追いかけてきていたので遮二無二動いていた。

 実は上のグラフ、ある程度文章を書いてから「絵があったほうが分かりやすいし自分が振り返りしやすいかもな」と思いついて急遽作った。あくまでざっくりとしたものだけれど、こうしてみると、最初に書いていた文面はわりと都合いいように説明が省かれていたり、結構大きなポイントだった出来事を忘れていることに気づいた。作ってよかったかも。

 夏以降の数か月は、このnoteにも詮無い愚痴や、答えの出ない悩みを延々吐露していた。のど元過ぎれば熱い、ではないが、振り返ると恥ずかしいことこの上ない。自戒のために削除はしていないけれど、読み返せるようになるためには数年を必要としそうである。友人たちにも随分と迷惑をかけた。
 資格の実習が始まる前は、かなりしんどかったんだけど、それでも実習へ向けて切り替えていかなきゃ……と考えていた気がする。当の実習期間そのものはとても楽しかったし、学ぶことが多かったため、気持ちがかなり上向いた時期だ。でもそれも一瞬だった。楽しいことって一瞬で終わるよね。実習後は行く前の状態にすぐ戻ってしまった。

 振り返ってみると、この「下り坂期間」の自分はタスクを詰め込みすぎていた気がする。
 限られた時間の中で、仕事と、家事と、睡眠と食事と、趣味と勉強に時間を割いていたのだ。正直に言って、これまでの人生の中で一番忙しく立ち回っていた自覚がある。どうして一日が24時間しかないのか、どうして自分は夜更かしをして作業ができないのか、どうして自分はもっと早く起きて以下略、そんな感じだ。村の祭りのあれこれはすべて夜に会議が入っていたり、仕事のミニイベント(ME)主催は二か月に一回のペースで考えて実行を繰り返していたので、地味に効いた。
 おまけに、創作というか、「小説を書く」という自分にとって大きめのアイデンティティを他人からズタズタにされる大事故があったので、もうその傷を忘れるために忙しく立ち回るしかなかった気も、今にして思う。「書けない自分」を「仕事ができる自分」とか「家事をこなす自分」ってもので埋めようとしてたというか。
 でも「書けない自分」の代替えにはどうしたってならないんだよな。自分のまったく違う側面(要素)なんだから、所詮書くことを埋めるには書くことしかなかったわけで。まあこれも、今だからわかる振り返りである。
 あとグラフを作ってて気づいたこととしては、実家で父親が再入院をした時期もしんどい時に被ってたな、ということ。しかも、それがすごく長引いて、時々母の連絡を貰ってたけど電話越しにもしんどそうなのが分かってつらかった。帰ってこなくていいよと言われたし(まあそりゃ言うだろう)、実際私も仕事を投げ出して帰れる性分じゃなくて、本当にやばかったら呼んでね、と言うに留めていた。でも不安が続いてた。

 秋の終わり頃になって、いろいろなことが連続して終わって、ようやく周りと会話する余裕が生まれた。というより、疲れも気持ちもピークで(グラフでいうとマイナス値)何もできなかったから、人の意見や言葉に耳を傾けるしかできなかったというのが正しいのかもしれない。意識があるので耳は動いてました、みたいな。
 不思議なことにその時期、見知らぬ誰かのポジティブな意見がするっと自分の中に入ってきたことを覚えている。
 それまでの数か月は、人からのアドバイスや心配や、本当にありがたい言葉も、なんだかすべて突っぱねていた。そういう言葉をもらえる人間じゃないって自分を卑下していたので(その割に、そんな自分に自己嫌悪していた)よくない気分が延々と自分の中で循環して腐っていた。だけど、動けなくなって、そこでやっと、人が善意から口にしている言葉っていうのが目に入った。

「羨ましい、妬ましい人」が周りにいる自分は素晴らしい

 脳みそが死んでいる状態で、インスタだかピンタレストだかネットニュースだか忘れたけど、ぼーっとネサフをしていた時だと思う。どういう肩書きの方かも分からないけど、投稿者からの質問に対して意見(アドバイス)を述べる、みたいな趣旨の記事(?)を見たとき、こんなことが書いてあった。(よく覚えてないので、こんなんだったな、くらいのニュアンスです)

質問者:モノづくりをしていてうまくいかない、うまくいっている人(=友人など)を見ると妬ましくなってしまう。うまくいっていることが羨ましい。(その人には)才能があって周りに人がいて、妬ましくなる自分も嫌だ。

回答者:そんな友人がいるあなた、素晴らしいと思います。自分が羨ましいと思える人、妬ましいと思える人は、すごい才能を持ってる。でもそんなすごい才能を持ってる人が友達だというあなたも、充分すごいと思います。もしかしたら、あなたも自分で気づいていないだけで(あなたが何でもないと思う)いろいろな面を誰かから「羨ましい」「妬ましい」と思われているかもしれない。それに妬ましいという感情も持っていて当たり前。何か悪いですか?そういう気持ちを持っている自分を受け入れてあげてもいいと思います。私なんてしょっちゅう人のことを「羨ましい!」って言ってます。

みたいな感じの内容だった気がするな……

 これを読んで、「あ、そっか」と私は思った。
 別に、何かがうまくいっている誰かを妬んだり羨んだりする感情は、普通のものであって、だからといって私が劣っている証拠にはならない。別に私は、誰かに「お前は劣っている」と言われたわけじゃない。自分でずっと、自分は劣っている(かもしれない)と自己嫌悪に陥っていただけ。
 隣の芝生は青いというけれど、まさにその通りで、青く見えることのほうが殆どの場合当たり前なのかもしれない。でも、青く見えたからと言って、うちの芝生が青くないと誰が言えるだろう。

 「羨ましい、妬ましい」と思える友人がいることは素晴らしい、という言葉にも、すごく感銘を受けたのを覚えている。
 そういう友人関係を築けている自分、そういう友人が一人でもいる自分。すごく、恵まれているんだなあと思った。本当に独りぼっちだったら、多分誰かを羨むことだって出来ない。他人を知らないから。尊敬している人がいるから、その人を眩しく見てしまう。他人が近くにいる、というのは恵まれていること。人数は関係なく、それがたった一人でも、大勢でも、自分がここまで繋いできたものがあるから、悩むこともできるんだなって。

もう一回挟んでおく。

気づいてからは調子がいい

 いろいろな事が続けざまに終わったと同時期に気づきを得て、すごくチープな言い方ですが、気持ちが軽くなったと言いますか。「自分のわがままな部分って別に何も悪くない」とか「癇癪起こしても人に迷惑かけなきゃいいや!」とある意味吹っ切れたというか。10月以降からは重しが取れたようにグラフも上昇。
 正直、同じように創作がうまくいかなくて悩んでいる人や、いろいろな問題にいろいろ憤ってとにかく文句を言っている人とか見るの苦手で、X(旧Twitter)も勢いで閉じたりしてたんだけど、完全にブーメラン行為なんですよね。それも分かっていたけど、憤っている人を見ると憤っている自分を反射する鏡のようで、見てられなかった。多分、私も誰かからそう思われていたと思う。
 今はそういう人を見ても、なんとも思わなくなったというか……そういう時期なんだな、大変だな。考えすぎないようにね、って心の中で一呼吸置くことができるようになった。それで、そっとしておく。私が何か言うべきでないことは変わらないし、やっぱりいろいろな考えの人がいるから、あくまでも私の考えは私のものとして留めておくべき。

 大変な時期にある人も、大変なものをどうすることもできなくて悩む人も、絶対いるはずで。だからこそアドバイスとか私は言える立場にないし、たとえ聞いてあげることはできても、最終的な解決策はその人自身が決めて実行するしかない。もしかしたら私が提案できることもあるかもしれないけど、やっぱり、その人の人生だから私が決められないんですよね。

 でも、そのうえで、私がしんどかった時に文句もアドバイスもせず、ただ愚痴を聞いてくれた人もいる。遊んでくれた人もいる。心配してくれた人もいる。だから、そういう有難い人のことは忘れず、いつか何かで恩返しできるように、その人が困ってたら聞いてあげられるようにはなっておきたいな、と思ってます。いつもありがとう。

まとめ

 ちょっとしんどい期間が長かったけど、まあそれも終わってみれば経験値だったかもしれんな。多分経験値1000000くらい入った。人間的に成長できたってコト! つまり私の2023年は良い年だったということだ。完!!

 来年ものんびりnoteを書いたり、旅行したり、仕事忙しいと思うけどゲームしたり映画見たり、好きなことして、しんどかったら肉いっぱいたべて早く寝て、やっていきたいと思います。
 最後に、いつもこのnoteを見てくださっている方、有難うございます。今日たまたまこの記事を見つけて、ここまで読んでくださった方も、有難うございます。

モチベーショングラフ フォーマット

 最後に、個人的にざっくりと今年を振り返るにあたって「モチベーショングラフ」ってのを作成したわけですが、これがかなり良かったなと思ったので、せっかくだしフォーマット置いておきます。

 「自分の一年を振り返る指標みたいなのないかなー」とネサフしてたら、就職活動のPRサイトとかで見つけたのがこの「モチベーショングラフ」というもの。就活系では、もっと期間が長くて、例えば0歳から20歳までとか、その間にどのような出来事があってどんな気持ちで過ごしてきたか、などを可視化するツールとして挙げられてました。自己分析の手助けになるってことで、使い方を少し変えてみたわけです。

 イラレで枠作って文字付けただけなんで、もしやってみたいなという方がいたらダウンロードどうぞ。特にご報告も必要ありません。
 縦軸が「モチベーション数値」、横軸が「月数字」となってます。書き方は自由ですが、私は自分の中で大きい出来事だったなと思う箇所に印をつけてみました。期間が長ければ線を引いたり。その上で、「モチベーション」が0からプラスマイナス100を上限として、各月どんな気分だったか、どういうテンションだったかを曲線で記しました。ご参考になれば。

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