熊本藩細川家龍ノ口上屋敷(丸の内オアゾなど)
外様大名では最高の格の場所
54万石:(肥後、豊後)
所在地:千代田区丸の内1丁目6
最寄り駅:東京駅、大手町駅
細川家は外様大名ですが、関ヶ原の合戦の際に細川幽斎が田辺城(舞鶴城)に籠城して西軍を引きつけ、子の忠興が妻の細川ガラシャを犠牲にしてまで東軍につくなどの行為で徳川家の信頼が厚く、何かと優遇されていました。江戸の大名屋敷の立地で最高の格式は「大手前」と呼ばれる現在の大手町一帯ですが、ここには親藩や譜代の大名屋敷しかありません。
大手前に次ぐ立地が「大名小路」と呼ばれた現在の丸の内地区で、外様では一番江戸城大手門近くに細川家の屋敷はありました。「龍ノ口」とは、大
手前と大名小路を分けていた道三堀が日比谷堀とつながる場所のことで、のち付近を指すようになりました。外海から水路を通って江戸城正面につながる要地でした。
現在はほぼ「丸の内オアゾ」の敷地と一致します。一部東京駅丸の内北口あたりやその前の道路にかかっています。しかし現在は遺構らしいものや掲示は一切ありません。
記事がよいと思っていただけましたら、お気持ち、よろしくお願いします。