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熊本藩細川家戸越下屋敷(戸越公園など)

「江戸の全大名屋敷跡めぐり」記事一覧

10万坪の巨大屋敷

54万石:(肥後、豊後、全国6位)
所在地:品川区豊町1、2丁目、戸越3丁目7、8、戸越4、5丁目、東中延1丁目4、5と3、6、10、12の一部
最寄り駅:東急大井町線下神明駅、戸越公園駅

熊本藩細川家上屋敷(龍ノ口)
熊本藩細川家下屋敷(白金)
熊本藩細川家下屋敷(八丁堀)
熊本藩細川家下屋敷(浜町)
熊本藩細川家下屋敷(目白)
熊本藩細川家下屋敷(その他)

熊本市の話題

 この場所は幕末時点では細川家の屋敷ではなかったのですが、とてつもない規模の特筆すべき屋敷なのでご紹介します。しかしこの屋敷については不明な点も多く、詳細はわかりません。
 細川家の資料や美術品を管理する永青文庫には「戸越御屋敷惣御絵図」という地図があり、これに従うと細川家の戸越下屋敷は10万坪あり、現在の戸越公園の周囲だけでなく、その西側の広大な地域に及んでいました。地図の四角いエリアは屋敷の建物などがあったエリアですが、西側の広大な部分に

は、大きな池や山などが築かれ、自然の中を闊歩するような場所だったようです。
 また大名屋敷の場所としては、江戸城から最も遠い部類の場所です。距離だけでいうと島津家や山内家の屋敷が大井町あたりにありますが、これは東海道沿いで交通至便なのに対し、戸越はろくな道もなく、極めて不便な場所です。なんでこんな場所に屋敷を求めたのでしょうか?
 しかしそんな遠さもあってか、このように広大だったのは江戸時代の初期のみで、西の部分は周囲の村に返され、江戸時代後期には東の部分も別の大名屋敷となって細川家のものではなくなります。
 明治後はいくつかの人手を経たのちに三井家の別邸となります。震災後の1932年にはその大部分が東京市に寄贈され戸越公園となります。今残る庭園などはその頃のものです。
 また北西側には1918年、三井一族の重要文書・資料などを集めた三井文庫が建設されます。文庫自体は戦後移転しましたが、今もそのうちの一棟が残っており、周囲は近年公園化されました。

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