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福岡藩黒田家上屋敷(外務省など)

「江戸の全大名屋敷跡めぐり」記事一覧

今も残る屋敷境界の長屋基礎石垣

47万石(筑前)
所在地:千代田区霞ヶ関2丁目2-1、永田町1丁目2-1など
最寄り駅:東京メトロ日比谷線霞ヶ関駅

福岡藩黒田家中屋敷(赤坂)
福岡藩黒田家下屋敷(渋谷)
福岡藩黒田家蔵屋敷(深川)

 福岡藩黒田家というと52万石、と記憶されていらっしゃる方も多いと思いますが、江戸初期の黒田騒動で減封されるなどして47万石となりました。
 上屋敷は当初大名小路(現在の丸の内)にあったようですが、やはり江戸初期にこの場所に移り、幕末まで変わりませんでした。
 北側の広島藩浅野家との間の坂が「霞ヶ関坂」で、黒田家の海鼠壁と、浅野家の赤い門などの対比が浮世絵などの題材とされ、江戸の名所でした。

 明治になると屋敷の東半分は外務省となり、以後建て替えはされますが、現在まで一貫して外務省敷地です。西側は有栖川宮邸など敗戦まで皇族用地でしたが、戦後の区画整理などで国会前庭の南地区や道路となりました。国会議事堂の一部敷地も黒田邸でした。

 現在の外務省の敷地の北東側と南東側には、藩邸時代に屋敷を取り囲んでいた長屋の基礎石垣が延々と残っています。霞ヶ関坂側では階段上になっています。
 往時はこの上に、2階建てなどの家臣が住む長屋が建っていました。長屋の一部は戦前まで残っていましたが、爆撃で焼けてしまいました。しかし明治初期の火事で焼けた御殿の屋根を飾っていた鬼瓦は幸いにも残っており、上野の東京国立

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