「無外坊胡麿仁者蕉禅創業之地」
明治時代に起こった俳諧流派の祖
★ジャンル【文化】
★場所 品川区北品川3-7-22
★最寄駅 京浜急行新馬場駅
★碑文
特になし
★解説
北品川駅の北口を出て、第一京浜・国道15号を挟んだ反対側のコンビニと児童相談所の間の路地奥にある清徳寺本堂前にあります。
無外坊胡麿は本名を柳下大叶と言い、無外坊胡麿は法号であり俳号です。1875年(明治8年)に小田原市で禅僧の子として生まれました。やはり禅僧となるように修行したようで、鎌倉・建長寺の菅原時保(すがわら じほう)禅師に学び、さらに寺門にこもるのではなく、広く社会に出て仏教を説いて回ることを提唱したようです。
さらに俳句も学び、三森幹雄(みもり みきお、春秋庵幹雄)を師としました。この人は神道の一宗派に属し、俳句を用いた宗教活動を行なったようで、無外坊胡麿もその影響を受けました。その俳風は「蕉禅派」と呼ばれ、どうもこのお寺ではじまったようですが詳細がよくわかりません。碑がある清徳寺は建長寺と同じ臨済宗であり、建長寺から派遣されていたのかもしれません。「蕉禅新聞」「蕉禅仏教道場」などというものを設立して活動していたようです。
その建長寺には、1916年(大正5年)に建てられた「蕉禅俳諧五哲記念碑」という碑があり、それによると、「蕉禅派」は一時は27000人もの同人がいたとあり、それなりの勢力があったようですが、「蕉禅派」で検索してもネットでは何の情報もヒットしません。
建長寺のの碑は無外坊胡麿が俳界を引退するのを記念して建てた、とありますが、彼の没年などはわかりませんでした。謎の多い人物であり、碑です。
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