「八幡小学校発祥之地」
間借りした神社の名が学校名に
★ジャンル【学校】
★場所 世田谷区奥沢5-22-1
★最寄駅 東急目黒線奥沢駅もしくは東急自由が丘駅
★碑文
特になし
★解説
奥沢駅を降りて駅前の通りを北へ、自由が丘方面に進むとまもなく左手に奥沢神社があります。その境内の一番奥、弁財天の岩屋の脇に碑が立ちます。自由が丘駅からもさほど変わらない時間で着きます。
八幡(やはた)小学校は1879年12月20日に、この奥沢神社の建物の1室を改造して始まりました。学校の名前は、もともと奥沢神社が「八幡社」という名だったので、その名前をもらいました。今年で創立143年になりますが、この間一度も「八幡」の名を変えていません。
この学校のホームページには実に詳細な学校の歴史が紹介してあります。それによると、開校当時の児童数は30人、校舎の広さはわずか49.5平方メートルで、先生も含めたらとても入りそうにありません。2部制だったのでしょうか?
この場所では実は公立の学校創立以前から、慶応年間ごろから寺子屋があったとも言います。学校はそれを引き継いだものだったようです。
校舎は「社寮を修理し」とあります。神官が住む小屋のようなものだったのでしょうか。当初の名称は「奥沢村公立小学校八幡小学」です。4年後の記述では「畳の上に机二十数個を並べ48人で授業をした」とあります。さすがに窮屈だったのか翌1884年に隣接地に校舎を新築します。
新校舎は建坪44坪とだいぶ広くなります。当時を思い出して書かれた絵では藁葺きの農家のような建物です。教室は16坪と12坪の2室があり、教員が住み込む部屋も2部屋ありました。
さらに1902年に現在地移転します。教室数は5つ、生徒数は173人にまで
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