「山田耕筰歌曲『からたちの花』発祥の地」
大作曲家・山田耕筰のつらかった少年時代から発想
★ジャンル【文化】
★場所 豊島区南大塚1-13-8
★最寄駅 JR大塚駅または丸の内線新大塚駅
★碑文
「枳殼の、白い花、青い棘、そしてあのまろい金の実、それは自営館生活に於ける私のノスタルヂアだ。そのノスタルヂアが白秋によって詩化され、あの歌となったのだ」
(「からたちの花」楽譜も)
★解説
大塚駅から始まるプラタナス通り(都道436号の一部)を南、都心方面に10分ほど歩くと、信号交差点右側に歯科医院があります。その交差点を左折してすぐ右側に日本基督教団巣鴨教会があり、その敷地に建っています。
「からたちの花」は北原白秋(きたはら はくしゅう)作詞、山田耕作(やまだ こうさく)作曲で1925年に発表された童謡です。このコンビはこの時期、「この道」「ペチカ」「待ちぼうけ」など数々の名曲を生み出していました。
しかし、童謡の発祥の地とはなんでしょう? 作詞なら詞の発想を得た場所、と解釈できますが、作曲は家でやるものでは?などと疑問が湧きますが、碑文にもあるように、この頃の北原と山田は親密にやりとりをしており、北原は山田が語った体験から発想し、作詞をしました。ただ北原は北原で、独自に「からたち」のイメージを得る体験があったようです。
山田はキリスト教伝道者の子として生まれましたが父は病気がちで、子供時代は大変貧しい暮らしをしていました。さらにその父が9歳で亡くなると、山田はこの場所にあった自営館というキリスト教系の施設で働きながら勉強をすることになります。
施設の食事は満足のいくものではなく、育ち盛りの山田は周囲の畑の野菜を盗んで生で食べて飢えをしのいだと言います。そして普通は食べませんが、施設の生垣
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