「日本の下水処理発祥の地」
日本で最初の下水処理場
★ジャンル【産業】
★場所 荒川区荒川8-25-2 三河島水再生センター内
★最寄駅 京成町屋駅、東京メトロ町屋駅もしくはJR三河島駅
★解説文
「大正11年3月26日 日本で最初の下水処理をこの地 三河島汚水処分場において散水ろ床方式により開始した その後関東大震災に見舞われるなど幾多の変遷を経て今日開設満70周年を迎えるに至った ここに先人の労をねぎらうと共に関係各位の御協力に感謝する意を込めて本記念碑を建立する」
★解説
町屋駅の東側に20万平方メートル近くもある広大な三河島水再生センターが広がっています。その南端に正門があり、右側に碑が建っています。碑の形がギザギザしていて変ですが、これは三河島水再生センターの処理区域の形を表しています。荒川区・台東区・文京区・豊島区や千代田区・新宿区・北区の一部が入っています。
古くから日本ではし尿を田畑の肥料として活用しており、江戸では近郊の農家が毎日のように武家屋敷や町人の長屋からし尿を回収してお金を払っていました。このためし尿処理は欧米ほど深刻ではありませんでした。しかし幕末からの開国で海外からコレラが入って流行するようになり、特に明治以降近代化と都市化が進んだ東京では、これらの大流行で死者が多数出ました。
こうしたことから衛生環境の改善が急務となり、まず江戸時代までの旧式の水道から清潔な近代水道への転換が進められ、事業は遅れに遅れましたが、ようやく1898年に淀橋浄水場が完成します。
下水道は、まず汚水を速やかに河川や海に流す下水道管の整備が始められ、1884年に、現在の神田駅前地区に下水管が設置されます。しかし下水に入った水は浄化されることはなく、汚水を人家から遠ざけるだけのものでした。
抜本的な汚水処理も1880年代の終わりから検討されましたが予算などの問題か
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