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斉彬の父、斉興の隠居屋敷72万石:(薩摩、大隅、日向、琉球、全国2位) 所在地:品川区東大井6丁目の大部分と、同区大井4丁目の一部 最寄り駅:大井町駅 大井町駅の南、かつての立会川の流れを埋め立てて作った緑道公園を辿っていくと、途中の関ヶ原公園に掲示がある。
八芳園も島津家屋敷跡72万石:(薩摩、大隅、日向、琉球、全国2位) 所在地:港区白金台1-1の一部、1-4、5など 最寄り駅:渋谷駅 白金の八芳園も島津家の屋敷跡だが、明治以降改変が多く、庭園が島津家時代の跡をどの程度残しているかはわからない。
維新後は皇族邸に72万石:(薩摩、大隅、日向、琉球、全国2位) 所在地:渋谷区東4-2、3、同区渋谷4-6など 最寄り駅:渋谷駅 渋谷区立白根記念博物館のはす向かいのマンション前に通称「常盤松の碑」という碑がある。
西郷・勝の無血開城談判の現場72万石:(薩摩、大隅、日向、琉球、全国2位) 所在地:港区芝5-33と34の一部 最寄り駅:JR田町、都営地下鉄三田駅 芝の海に面した蔵屋敷は船で運び込む米などの物資を置いた場所。幕末の江戸城無血開城交渉の場所として有名。しかし異論もある。 ビルの入口脇で目立ついい場所に「会見の地」の大きな碑が置いてあった。しかし現在ビルの建て替え工事中で撤去されており、工事後にどのように設置されるかは不明。工事の仮囲いに碑の写真が掲示してあり「建替えに
維新後は皇族邸に72万石:(薩摩、大隅、日向、琉球、全国2位) 所在地:港区高輪3-13など 最寄り駅:JR、京浜急行品川駅 島津家の下屋敷や蔵屋敷はいずれも上屋敷と行き来しやすい江戸城南西方向、ほとんどが今の港区内にあった。 品川駅前のプリンスホテルや品川税務署、旧ホテル品川グースの一帯がほぼすべて島津家の屋敷だった。その中心部分が高輪森の公園になっている。この公園は入り口がわかりにくく、知る人ぞ知る公園で近所の子どもの遊び場になっている。
跡地は鹿鳴館に72万石:(薩摩、大隅、日向、琉球、全国2位) 所在地:港区芝2、3丁目など 最寄り駅:都営三田線芝公園駅 幸橋御門内、外桜田と呼ばれる地区で、格からすると大手前、大名小路(丸の内)に次ぐ3番目で、決して高くない。江戸時代は丸の内地区とは堀で隔てられていた。正式には上屋敷だった時期もあるが、なにぶん島津家の屋敷としては狭い。装束屋敷と言われ、登城準備などに使われたようだ。 現在はNTT日比谷ビルなどがある一角。 薩摩装束屋敷跡は、維新後しばらくして鹿鳴館が
「江戸の全大名屋敷跡めぐり」記事一覧 幕末薩摩藩テロ活動の根拠地72万石:(薩摩、大隅、日向、琉球、全国2位) 所在地:港区芝2、3丁目など 最寄り駅:都営三田線芝公園駅 明治維新では薩摩中心に倒幕が実現するが、西郷隆盛は最終段階で芝の藩邸を根拠地にさかんに江戸市中でテロ行為を行い、幕府側を挑発した。将軍慶喜はこうした行為を挑発と察知しながら、薩摩懲罰を訴える江戸の幕臣を押さえきれず、庄内藩兵らが上屋敷を焼き討ち、制圧する。慶喜は大坂にい たが、焼き討ちの報を聞き、も
整備され「さつまの道」に72万石:(薩摩、大隅、日向、琉球、全国2位) 所在地:港区芝2、3丁目など 最寄り駅:都営三田線芝公園駅 徳川幕府が最も恐れた大名家が島津家。鎌倉時代以来薩摩を支配し、表石高72万石は前田家についで第2位。関ヶ原で敗戦したにもかかわらず所領は減らされなかった。 島津家の屋敷で問題になるのは上屋敷がどこかということ。切り絵図などでは最大面積の芝を上屋敷とし、参勤交代の際、藩主はここに住んだ。しかし幸橋御門内の屋敷を上屋敷とする資料もあり、実際扱い