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江戸の全大名屋敷跡めぐり

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江戸にあった大名屋敷の痕跡を全て紹介します。建物・門はもちろん石垣、解説板なども含め、訪れる物がある場所は全てです。豊富な写真と境界地図もあります。場所などは基本幕末時のものを掲…
江戸にあった大名屋敷を見て回るのに必要な情報を提供します。石高上位の大名家から初め。不定期で追加し…
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#黒田涼

福岡藩黒田家蔵屋敷(清澄公園など)

清澄公園の一部は黒田家屋敷47万石(筑前) 所在地:江東区清澄2丁目2の一部 最寄り駅:清澄白河駅 福岡藩黒田家上屋敷(霞ヶ関) 福岡藩黒田家中屋敷(赤坂) 福岡藩黒田家下屋敷(渋谷)  こちらも大藩の蔵屋敷にしては小さいです。どうしてでしょう? 敷地は仙台堀から分かれた堀割が敷地の真ん中を貫き、さらにお隣の関宿藩久世家の屋敷に続いていました。久世家の敷地あたりが現在は清澄「庭園」となっています。  明治になってこの地に広大な岩崎弥太郎の邸宅が築かれ、「庭園」も「公園」

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福岡藩黒田家下屋敷

藩邸跡の横町にできた詩碑47万石(筑前) 所在地:渋谷区東1丁目4から6、8から22、24 最寄り駅:渋谷駅 福岡藩黒田家上屋敷(霞ヶ関) 福岡藩黒田家中屋敷(赤坂) 福岡藩黒田家蔵屋敷(深川)  福岡藩は大半の割に屋敷の数が少ないです。上中下蔵、1か所ずつしかありません。白金に下屋敷があった、という資料もあるのですが、幕末の地図では場所を確認できませんでした。  現在では住宅地などに変わりまったく痕跡はありませんが、敷地境の道の形状などはかなり残っています。  その敷

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福岡藩黒田家中屋敷(衆議院赤坂議員宿舎など)

わずかに坂名に痕跡を残す47万石(筑前) 所在地:港区赤坂2丁目17の大部分と18から23、赤坂6丁目7 最寄り駅:東京メトロ千代田線赤坂駅  黒田家の中屋敷は、赤坂溜池タワー・衆議院赤坂議員宿舎と現在再開発進行中の東京ワールドゲート赤坂などの北東側の地区と、その南西の地区(2-18以降の番地)の中小ビル建つ場所でしたが、中小ビルのエリアには明治初期まで広大な鴨場の池がありました。邸内に鴨猟の池を作るとはさすが黒田家です。  現在はほぼ痕跡はありません。赤坂みすじ通りから

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福岡藩黒田家上屋敷(外務省など)

今も残る屋敷境界の長屋基礎石垣47万石(筑前) 所在地:千代田区霞ヶ関2丁目2-1、永田町1丁目2-1など 最寄り駅:東京メトロ日比谷線霞ヶ関駅  福岡藩黒田家というと52万石、と記憶されていらっしゃる方も多いと思いますが、江戸初期の黒田騒動で減封されるなどして47万石となりました。  上屋敷は当初大名小路(現在の丸の内)にあったようですが、やはり江戸初期にこの場所に移り、幕末まで変わりませんでした。  北側の広島藩浅野家との間の坂が「霞ヶ関坂」で、黒田家の海鼠壁と、浅野家

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和歌山藩徳川家越中島抱屋敷など

多数の小屋敷を抱えていた紀州家55万石:(紀伊、伊勢、近江)  紀州家は多数の小屋敷を江戸中に抱えていた。  越中島抱屋敷、四谷外堀、四谷相之馬場、四谷南伊賀町抱屋敷、権田原下屋敷、松濤下屋敷、蠣殻蔵屋敷など。

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和歌山藩徳川家築地蔵屋敷(旧築地市場駐車場)

軍艦操練所にされてしまった蔵屋敷55万石:(紀伊、伊勢、近江) 所在地:中央区築地6-20 最寄り駅:東京メトロ築地駅、都営地下鉄勝どき駅  江戸期の地図上では講武所となっており、脇に「元紀伊殿拝領屋敷」とある。江戸時代後期、文政の大火以降蔵屋敷として使われてきた。それ以前は堀田家の中屋敷だった。

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和歌山藩徳川家千駄ヶ谷抱屋敷(東京体育館、津田塾大など)

55万石:(紀伊、伊勢、近江) 所在地:渋谷区千駄ヶ谷1丁目周辺 最寄り駅:JR千駄ヶ谷駅、都営地下鉄国立競技場前駅  千駄ヶ谷には隣り合う二つの敷地の抱屋敷があった。いずれも江戸末期の入手と思われる。近くに初代藩主・徳川頼宣の生母、養珠院(お万の方)が創建した仙寿院という寺院があり、立地に関係があるかもしれない。

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紀伊徳川家万年橋下屋敷(芭蕉稲荷など)

幕末に相対替で取得55万石:(紀伊、伊勢、近江) 所在地:江東区常盤1丁目1から4、16から18など 最寄り駅:東京メトロ清澄白河駅、都営地下鉄森下駅  下の地図では尼崎藩の松平遠江守屋敷となっているが、この地図が書かれたあとの1859年に、同家との土地交換で紀州家の屋敷とした。小名木川・隅田川沿いなので蔵屋敷だったと思われる。築地の蔵屋敷が幕府の講武所になってしまったため、その代替の意味もあったのではなかろうか。万年橋とは近くの小名木川に架かる橋の名。

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和歌山藩徳川家下屋敷(旧芝離宮恩賜庭園)

大久保家から引き継いだ名園55万石:(紀伊、伊勢、近江) 所在地:港区海岸1-4-1 最寄り駅:JR浜松町駅  この場所は幕末は紀州家の屋敷だが、その主は江戸時代通じてしばしば変わっている。現在に残る見事な庭園の姿は、元禄年間に大久保家によって作られた。立地的には埋立地と思われ、まず江戸時代初期に松山などを領した加藤嘉明に与えられ、続いて小田原藩大久保家に与えられた。大久保家は庭園を楽寿園と名付け、地元小田原の庭師に作庭させ、近隣の石が多用されている。しかし1818年、大久

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名古屋藩徳川家抱屋敷(大久保、西光庵など)

小さな屋敷が多数あった名古屋藩62万石:(尾張、美濃、信濃、三河) 所在地:新宿区新宿6-15の一部 最寄り駅:東京メトロ副都心線東新宿駅 尾張徳川家上屋敷(市ヶ谷) 尾張徳川家中屋敷(麹町) 尾張徳川家下屋敷(戸山) 尾張徳川家下屋敷(川田久保) 尾張徳川家蔵屋敷(築地) 尾張家抱屋敷(大久保その他) 新宿6丁目にある西光庵は、江戸期の地図には隣接する尾張家屋敷内と書かれており、尾張家の誰かが開創した寺院のようだ。墓地には14代藩主慶勝、16代藩主義宜の墓がある。  

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名古屋藩徳川家下屋敷(川田久保、東京女子医大など)

東京女子医大は徳川家屋敷跡62万石:(尾張、美濃、信濃、三河) 所在地:新宿区若松町2-2と3,4の一部、河田町2の一部 最寄り駅:大江戸線若松河田駅 尾張徳川家上屋敷(市ヶ谷) 尾張徳川家中屋敷(麹町) 尾張徳川家下屋敷(戸山) 尾張徳川家尾張徳川家蔵屋敷(築地) 尾張徳川家屋敷(大久保その他) 現在の東京女子医大敷地あたりには川田久保(河田窪)屋敷という下屋敷があった。市ヶ谷の屋敷と戸山の屋敷をつなぐ場所になる。 女子医大病院。現在は全く痕跡がない。 これより有料

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名古屋藩徳川家下屋敷(戸山、戸山公園・戸山ハイツ)

模擬店もあった江戸時代のテーマパーク 62万石:(尾張、美濃、信濃、三河) 所在地:新宿区戸山ほぼ全域 最寄り駅:東京メトロ東西線早稲田駅、副都心線西早稲田駅、都営大江戸線若松河田駅 尾張徳川家上屋敷(市ヶ谷) 尾張徳川家中屋敷(麹町) 尾張徳川家下屋敷(川田久保) 尾張徳川家蔵屋敷(築地) 尾張徳川家屋敷(大久保その他) 新宿区にある都立戸山公園の箱根地区とその周囲の学習院女子大、戸山高校、都心身障害者福祉センター、戸山ハイツ、国立国際医療研究センター、国立感染症研究所

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名古屋藩徳川家中屋敷(麹町、上智大学)

上智大学が拡張し、ほぼ中屋敷と重なる広さに62万石:(尾張、美濃、信濃、三河) 所在地:千代田区麹町6-5,2 紀尾井町6,7 最寄り駅:JR、東京メトロ四ツ谷駅 尾張徳川家上屋敷(市ヶ谷) 尾張徳川家下屋敷(戸山) 尾張徳川家下屋敷(川田久保) 尾張徳川家蔵屋敷(築地) 尾張徳川家屋敷(大久保その他)  上智大学は明治末期に創立し徐々に敷地を広げてきたが、現在ではほぼその敷地が中屋敷の敷地と重なっている。藩主は在京時に上屋敷に滞在し、この中屋敷には世継ぎが住んだ。  道

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名古屋藩徳川家上屋敷(市ヶ谷、防衛省)

御三家筆頭の上屋敷はほぼ跡形なし 62万石:(尾張、美濃、信濃、三河) 所在地:新宿区市ヶ谷本村町4から10 最寄り駅:JR、東京メトロ、都営地下鉄市ヶ谷駅  御三家筆頭の家柄。一般的には尾張徳川家の方が通りがいい。表高は55万石だが、支藩を合わせると62万石で仙台藩伊達家とほぼ同じ。1657年の明暦の大火までは上屋敷は現在の皇居内・吹上にあったが、その後現在の防衛省あたりの屋敷を拡張して上屋敷とした。以後この西北方向一帯に屋敷を連ねていった。 1)防衛省正門 上屋敷の

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