【体育】運動そのものの良さを大切にする体育
こんにちは。
さて、体育の授業、子どもたちのために、ああでもないこうでもないと様々な工夫をしながら取り組んでいる先生方も多いと思います。
でも、ちょっと待ってください。
その工夫、「その運動がもつ面白さ、良さ」を削ってしまってはいませんか?
もっと「その運動がもつ面白さ、良さ」を引き出しながら体育やりませんか?
今日はそんなお話です。
1.運動の面白さを消してしまう体育
とある体育館。
小学4年生がポートボールの授業をしています。
「全員が楽しめるようにルールを工夫だ!」
そう考えた先生は、「女子が点を入れたら3点にしよう」「全員がボールを触ってから得点したら3点追加だ」などなど、様々な工夫を加えています。
授業の様子はいかがでしょうか。
「おーい、女子にまわせ~」「まだあいつが触ってないぞ!1回パスだして戻してから攻めるぞ」など、ワイワイと楽しそうな雰囲気。
先生も満足そうです。。。
…ちょっと待って。本当にこれでいいの??
そもそも、「ゴール型」の楽しさってなんでしょう?
ボールを操作する運動の面白さってどこにあるのでしょう?
その「工夫」の前にやるべきことはあるのではないでしょうか?
そうです。
ゴール型の本来の楽しみ(特性)とは、侵入、つまり「突破」にあります。それを個人で達成したりチームで協働的に解決したりすることが「味わうべき楽しさ」です。先に挙げた授業、ゴール型としての楽しみ方とはどんどん離れていっていることにお気づきでしょう。
これは、ボール運動以外でも起こりがちな状況です。
例えば器械運動。器械運動は、自身の身体の動きを認知したり、動きが拡張していくことを楽しむ運動です。しかしながら、器械運動はその特徴から、様々な配慮が必要な運動でもあります。
ここで陥りがちなのが、「器械運動に付属の楽しさを中心軸に持ってきてしまう授業」です。例えば、技ができたかどうかを得点化して競争してみたり、技を敵のように見立てて倒すことを目的にしてみたりするような例が散見されます。
よく考えてください。
これらの授業、「器械運動としての楽しさ」をどこで味わうのですか?
児童が無意識に味わっているからOK?
いやいや、これらの授業でその楽しさを無意識に味わえる児童は、その工夫がなくても十分楽しめる児童です。そうではない児童の多くは、「ゲーム的な楽しさ」で止まってしまい、器械運動そのものの楽しさを味わうことは難しいでしょう。
2.工夫が多すぎると再現性が低くなる。
「工夫」が多すぎる授業の問題点は他にもあります。
それが「児童自身での再現性が低くなる」ということです。
技能差のある児童が楽しめるようにするために、ルールや教具など、様々な工夫を取り入れること、ありますよね?私もそうでした。
あれもこれも、どんどん増やしていく。授業はそれなりに充実していきます。
しかし、どうでしょう?
休み時間や放課後に、その運動、子どもたちだけでできますか?難しいですよね。ルールや教具が複雑になるということは、それだけ再現性が低くなるということです。やはり、シンプルに「楽しさ」を味わえるように「工夫」したいところですよね。
運動そのものの楽しさを実感でき、自分だけでもできる見通しをもてることで、「休み時間もやろう」という再現性が生まれるわけです。
3.シンプルに楽しむために①「教師が運動特性を正しく知る」
さて、工夫しすぎる問題点を挙げてきましたが、では、具体的にどうすればシンプルに楽しさを味わえるようになるのでしょうか?
そこでまず初めに私たち教師がすべきことは「運動特性を知る」ことです。
運動特性とは、簡単にいうと「その運動がもつ楽しさ・面白さ」です。
では、「前転」の運動特性とはなんでしょう?「前転」は次の①~③のどれを楽しめたら「もっとやりたい」となるのでしょうか?
①前転が「できるようになること」
②前転を「きれいに回ること」
③前転での「回転を楽しむこと」
もちろん、どれも「楽しい」を生み出しますが、ここでの「運動特性」で言うと③です。
①の「技ができる喜び」はものすごく大きな喜びを生みますが、状況によっては、長い間得ることが難しくもなります。
②の「技をきれいに行う喜び」は、あくまでも他者からの感覚です。試技者自身はいつでも一番きれいに回るつもりで回っているので、より美しくなっていっても児童全員が実感を得ることは難しいです。
では、③はどうでしょう?
③の「回転を楽しむ」。これが一番「特性」を味わえます。前転という運動は「眩暈の遊び」です。(詳しくは、ロジェ・カイヨワ著「遊びと人間」をお読みください。)体が回転するときの目に映る景色は非日常のもの。その非日常感、アンコントローラブルな感覚、それを楽しむことが「眩暈の遊び」です。(回転イスに座ってくるくる回す遊び、しましたよね?あれと同じです。遊園地のアトラクションや滑り台なんかも眩暈の遊びですね。)つまり、「ただただ回転を楽しめるようにする」ことができれば、いつまでも子どもはやりたくなります。小さい子がでんぐり返しを覚えると、延々とやりますよね。あれが眩暈の遊びに魅せられた姿です。では、マット運動の授業では、どのようにしたら「ただただ回転を楽しめる」授業になるのでしょうか?
4.シンプルに楽しむために②「身体的メタ認知を促す」
「ただただ回転を楽しむ」ための方法として私がいつも大切にしているのが、「身体的メタ認知を促す」ことです。
つまり、「今、自分の身体がどういう状態になっているのか」ということをメタで認知(他者目線で認知)することが必要であり、それを促すような言葉かけや手立てが重要になってきます。
前転の例でいうと、
①頭をついたときに身体はどういう位置関係になっているのか。
②足が地面を離れたときに身体はどういう形になっているのか。
③回転中は身体はどう動いているのか。
④足をついたときに身体はどういう形になっているのか。
そういったことを一つ一つ意識するような声かけをしてみます。
するとどうでしょう?
案外に、下の学年の児童でも、そのメタ認知自体を面白がって取り組んでいる姿が見られます。
そうです。器械運動に限らず、「一つ一つの動きを切り取って意識する」ことって、案外楽しいんです。そしてそれが「その運動の特性を理解し楽しむ」ことに繋がるのです。
5.運動そのものの良さを楽しんでいる例
器械運動以外でも、どの領域でも「運動そのものを楽しむ」ことができます。例えば縄跳び。縄跳びは、その運動自体の面白さを子どもが実感しやすいですね。だから休み時間にも進んでやりますよね。
ボール運動も、最初からゲーム自体を楽しませるのでなく、単元に入る前に体つくり運動の「用具を操作する」運動として、「投げる」「捕る」だけにフォーカスを当てた授業を事前に行います。そこで「運動そのもの」を楽しむ時間をたっぷり設けます。
「投げる」と言っても様々な投げ方がありますね。片手で投げる、チェストパス、サッカーのスローイングのような両手投げ、下投げなど。様々な投げ方に応じた手や体の使い方を一つ一つ確認しながら行うことで、児童は「動かし方」を意識するようになる。そして、大人が思っている以上にその動き自体を楽しむようになるのです。それが「再現性(休み時間のキャッチボール)」に繋がっていきます。大人にとっては当たり前の「投げる」という行為も、子ども(特に苦手な子)にとってはとても新鮮なものに感じられるのです。
また、ボール運動も、それぞれの「型」の面白さ(特性)を十分に味わえるように工夫するべきです。なんとなく雰囲気を楽しくするだけでは、体育としての楽しさを味わったとは言えません。(それぞれの特性のお話も、いつかnoteで書きたいです。)
6.おわりに
このように、「運動そのものの良さ」にフォーカスを置いてみることは、子どもたちの「土台作り」としてとても大切ですし、こういった「そのものを楽しむ」時間もとても大切です。こういう楽しみをたっぷり味わった上で、その運動を生かした楽しみ(ゲーム性の高い取り組み)を味わえた方が、より多くの楽しみを得られるのではないかなと、今の私は考えています。
では、今日はこの辺で…現場からは以上です。。