見出し画像

小学校教員を辞めてワーホリに挑戦した2024年

前置き

こんにちは。くろもち大福です。
現在、ワーキングホリデーでニュージーランドにいます。
私は、今年の3月末まで小学校の教員として働いていました。

教員をしている頃の私は、毎日自分の心を殺して生きていました。

いい年した大人なのに、職場で泣いてしまうことがよくあり、高熱が度々出る、アレルギー反応や生理痛がどんどんひどくなっていくなど体の異変を感じました。
子どもに「その顔すごいね」って言われる程ニキビが大量に出ました。

心もそうだけど、体も弱っていて、このまま続けるのは危険だと判断しました。

そこで、昔からやってみようと思っていたワーキングホリデー制度を理由に退職。
(教育公務員は法律によって副業ができないことになっているので、働くのであれば辞めなければなりません。)

辛いから退職、といったように、逃げにしたくなかったことと、退職した後どう生きていくかわからなかったこと、ワーホリに挑戦すれば自分を変えたりやりたいことを見つけたりすることができるのではないかと思い、この選択をしました。

今年は変化と挑戦、そして、内省に富んだ一年となりました。

変化ばかりの一年でしたが、変わらずに継続したこともあります。

それは、「書く」ことです。

何を書いていたかというと、毎日の日記(書けなかった日は別の日に書いていましたが。)と、毎月の振り返りです。

それらの記録を見返していくと、仕事を辞めた後も、全てが順調というわけではないことがわかりました。アクシデントや選択ミス、後悔することもありました

ですが、それも含めて良い学びとなりました。

書くこと、振り返ることで、一年を通して客観的に自分を見つめることができました。

そのおかげで、
過去のトラウマ的な記憶の中にいる相手を、少し許せるようになってきました。

なぜ、教員をしていて適応障害になったり、自信がなくて卑屈で、心が死んでいたのか、理解できました。

自分を責めすぎているとはどういう状態なのか、自分に寄り添うということがどういうことか、わかりました。

今までの経験に一つも無駄がなかったことに気づきました。

人は誰しも、向上したいと心の底では思っています。
よくなりたいんです。
私も、自分の心を強くしたい。その思いで今を生きています。


さて、この記事では今年一年の私の学びを惜しみなく書いていこうと思います。

構成としては、その時期のあらましと私の学びを順番に書きました。

では、振り返っていきます。


1.教員時代(1月〜3月):ラストスパート!

教員時代を思い返すと、過酷な環境にいたんだなと改めて思う。
自分にとっての許容量を超えていたし、自分を責めすぎていたし。

退職願を出してからは、終わりが見えていたので、心を何とか保てた。

年が明けてからというもの、仕事が本当に終わらなかった。
持ち越して、また持ち越して。
寝不足だから、頭も上手く働かないし、気力も湧かないし。悪循環。
ワンオペでクラスを回したときなんか、わきゃー、もきゃー、な状態。
(私は特別支援学級を担当していたので、普段は担任が数名いる)

生きてる幽霊だったなぁーって。生きながらにして死んでいた。
振り返ってみてそう思う。

その年度は特に負担が大きすぎた。

チームに若手教師ばかりで、
とか、
いろんな役割が重なり仕事量が膨大になって、
とか、
学校全体でケアしなきゃならない子がいて、他の先生方も余裕がなくて、
とか。
そういう環境要因もあったけれど、それもこれも、乗り越えていける力量と気力がなかった。

詰まるところ、私の力不足が原因なんだと思う。

下積み期間、持ち堪えられなかったけど、辞めることを選択して今は良かったと思っている。

ちなみに、退職するときに、担当した子やその保護者が惜しんでくれたのが、唯一の心の救いだったなぁ。自己満足だけれど、必要とされていたんだってわかると嬉しかった。
私はダメダメ教師って思っていたけど、少しはダメじゃなかったのかなって。

辞めるまでの間、子どもたちと離れるのは少し寂しい気持ちもあったけれど、何度考えても続けるという選択肢はなかった。
退職は逃げなのかと考えたこともあったけれど、このままもし続けていたら、確実に壊れていたなぁと思う。

そもそも、[先生]に良いイメージはあまりなかった。
中学の国語科や体育科の先生。高校の部活の顧問。本当に先生としてどうかと思う人達だった。
今でも、生徒である私に、回答したときの声が小さくてキモいと言ってきたことは忘れられない。
私の人格を否定されたことだってある。そう言う所謂クズな先生が、私の先生だった。

なのに、教員になった。

教員になって、知識をつけて、教員の立場で子どもを指導することで、あの時の私は間違った指導をされていたとわかり、自分は何も悪いことをしていなかったことに気付けた。
自分を癒せた。
無駄なことは何ひとつないのだ。

けれど、これだけ書くと教員批判みたいになってしまうので、言わせて欲しい

教員は崇高で大変価値のある職業だということ。

私の所属した学校には、自分の体や健康よりも子どもの将来を良くしようと願って指導にあたる、愛の溢れる先生方がいた
子どもの未来を本気で考えて、真剣に、真っ直ぐに向き合う、そんな先生方を私は心の底から尊敬している

世間のニュースに出ているような、私が関わったとある先生のような、ロクでもない教員ばかりじゃない

学校の先生は、本当に大切な職業だってこと


学び:心を殺して生きてきた

私は中学生の頃から心を殺して生きてきた

はじめに殺したのは、よく知りたいと思う欲求

中学生の社会科で、縄文時代や弥生時代などの古代の詳細が気になっていたけど、そこはテストでは重要ではなかった。
テストでいい点を取るためには、テストの勉強をしなければならなくて。
それで、欲求をもつことを諦めた。
数学の公式もそう。
何でこうなるのっていちいち引っかかっていたら、永遠に進まなくて。
だから覚えて公式を使えるようにする、ただ言われたことをこなす方が善であり、賢いことなのだと思っていた。

その思考が、

良い高校に入ろう
大学は必ず行くべき
社会的に望まれる仕事に就こう

という、価値観に成長していったのだと思う。

自分が何をしたいのか
自分の生きる目標は何か
自分は何を考え、どう生きていきたいか

そういったことを考えるよりも先に、生きるための手段を決めるようになってしまったのだと思う。


そして、次に殺したのは自己肯定感と生きている感覚
いじめを経験したことがきっかけ。
もちろん、される側
私は人見知りで、強く言えなかったからね。

この頃(中学生)から、家のトイレや自分の部屋などで一人きりになったときに、急に現実感がなくなる現象に陥るように。
直前まで普通だったのに、本当に急に。

どんな現象かというと、
生きていることが怖くなる現象。

息をしていること
目で物を見ていること
音が聞こえること
五感を感じていること

つまり、生きていることに恐怖を覚えていた。
それと同時に、自分の腕を触ってみて、生きていることを確認して安心していた。

矛盾してる。

生きることが怖いのに、死ぬことが怖い

その時の思考は大体こんな感じ。

今いつだっけ。→あ、夜か。
なら今は安全か。
自分は誰だっけ。
今見えてるし、聞こえてる。
腕を触っている、触感がある。
ってことは生きているってことだよね。
今、生きてるの?本当?そっか、生きてるのか。
今生きているってことは、いつか死ぬってことかな。

そこまで考えると怖くなって動悸や息切れをすることもあった。

思考は続く。

今は○月○日の、○曜日。
時間は夜。
だから今は安全だけど、明日の朝は学校に行かなきゃいけないんだ。
あと○時間後か。
朝になったら〇〇がある。学校がある。やだなぁ。

それで、抜け出せるときもあれば、抜け出せないときもあって。
そういうときは、頑張って家族のいる方まで行って、この現象から抜け出していた。

この現象は、歳を取るごとに頻度や時間は減っていたけど、高校卒業まであった。
そして教員になって、再発した。

生きながらにして死んでいた自分
中学生の頃から時が止まっていたと分かった。
だから、自分を殺していたから、覚悟も大してないまま、教員になってしまった。

ずっと自分に合わないことをしてきた
コンフォートゾーンでも、ラーニングゾーンでもなく、三年間ずっとデンジャーゾーンにいた。

心を殺しても、いつかはできるようになるって思い込むようにしてた。
(そもそも、子どもに叱ることができないし、したとしても上手くできない!だって、私が叱られるのが苦手な子どもだったから。叱られるといつも泣いていた。)

そして、できるようになる前に、心が疲れてしまった。

失った時間は戻らないけど、教員としての経験は全てが糧であり、無駄ではなかった

今は心が生きている心に火が灯っている

わたしはいま、いきている!!


2.ニート時代(4月〜9月):休養ターン

仕事を辞めて自由な時間ができた。
ワーホリに向けての準備や、作曲やイラストに挑戦する、家庭菜園や食糧備蓄、家の掃除を完璧にする、日本食を作る、日本の歴史を初めから学び直す‥
などなど、やりたいことはたくさんあった。

けれど、やりたいことの一割もできないまま、ワーホリに行くことになってしまった。

このときの大きな課題は、生活習慣
主に就寝時間と起床時間。

朝や日中はやたらと眠たくて、夜は中途覚醒もしてしまい、より眠くなるという悪循環。

仕事を辞めるのも大きな変化だったのかな
年明けからずっと、ラストスパートという気持ちで頑張ってきた反動かな
いろいろなことが理由として思い浮かんできた。

思考の整理もできてなかったように思う。
何を優先するか、どういう手順で、目標はいつまでにどのくらいで、といった道筋も立てていなかったし。

人と会っていなくて、メリハリもなく動くこともあまりしていなかった

ワーホリも不安だらけで、英語をやらなきゃとか、宿取らなきゃとか。

それなのに、バイクの教習所に通いだしたり、エステ技術を習って集客してみたり。
大好きな高千穂に旅行に行ったり。

基盤が整っていないのに、本当にしたいことかも確かめないまま、色々と手を出し過ぎて、[思考置き場]を、[考えるべきこと]でぐちゃぐちゃにして、手をつけられない状態にしてしまっていた

それらのいろんな要因が重なり、足が動かなかったんだと思う。
とはいえ、こうして書いていても言い訳にしか聞こえないのだけど。

この頃は本当に変化に弱くて、何かある度に疲弊していた。

仕事をしていないから、人と関わることも滅多になくなり、より小さいコミュニティの中で嫌われたくないと頑張ってしまったこともあった。

けれど、良い変化もあった

教員をしていたときと比べて穏やかな気持ちになった
家族には以前の子どもの頃の私に戻ったように明るくなったと言われた
私自身も笑顔や楽しいことを考えることが増えた
昔からの友達で、何年も連絡をとっていなかった子とも再会できた
何年も会えていなかった親戚にも会えた

なんて幸せな時間だったのだろうと、今は思う。
もっと、一つ一つに感謝をしたかったなぁ。


学び:[思考置き場]を整理しよう

やりたいことを確実にするには、エネルギーが必要
正しくエネルギーを注ぐには、計画が必要
計画をするには、思考のパーツとアイデアが必要

要は、自分の頭の中の考え一つ一つを物として見立てて、それをあるべき場所にしまったり、そこから取り出したりできるよう整理する必要がある、ということ。

抽象的なので、紙に書いて整理するのも良いし、慣れてきたら頭の中で整理できてくるのかも。

ひとつ、やりたいことを見つけたら、[思考置き場]のどこにしまうか確認しよう
そして、やりたいことを確実に実行できるように、思考のパーツを組み立てて、種まきをしよう。

やりたいことを、ただ「やりたいな。」で終わらせないためには、工夫が必要
その一歩が、思考を整理するということ。


3.ワーホリ時代(10月〜12月):内省ターン

ワーホリの目的は成長

この期間は「変化×変化×変化」そして、「学び」の期間。とても濃い3ヶ月。

そもそも、ワーホリという選択が正しかったのかどうか、未だにハッキリ答えられない。
一人で海外に旅行すること事態がはじめて
負荷が大きすぎた。

けど、乗り越えられた。

乗り越えられない壁ではなかった。

日本人以外しかいない場所にいるだけで涙。
初めは本当に泣いてばかりだったけど慣れたし、一人だけどいろんなことを経験し、乗り越えて行けたと思う!
(英語ができないのに事故対応とか、スピード解雇とか、もう本当に色々経験させてもらえた。)

そして、しっかりと自分を見つめ、自分の心を生き返らせることができた

今まで出会った人、辛い経験も幸せな出来事も全てに感謝。

たくさんの学びを得られた。
これだけは言える。

本当に、ワーホリをして良かった!


学び①:生きることを味わう・いつ死んでもいいように生きる

辛いことも楽しいことも、全てを味わうこと。
呑み込まれて感情的になってしまうと、立ち直るのが難しくなる。
そうじゃなくて、

こういう経験ってなかなかできないよね!
と、楽しむこと。味わうこと。

そこから、何を得るか探すこと。
お宝探しと似ている。

要は、客観的に見るということ。

そのように一つ一つを大切に味わって生きていれば、いつ死んでも後悔はないはず

そもそも、未来は確定していない。
未だ来ていないのだから、[未来]。

病気になって余命宣告されている人の寿命より、自分の寿命が長いとは限らない。

いつ死んでもいいように、味わって生きる

そして、いつ死んでもいいように、感謝の言葉だったり準備だったりをあらかじめしておく。

後悔なく死ねるように。

そうすれば、今を精一杯生きて、楽しんで、学んでいくことができる。


学び②:森羅万象に感謝する

今ある当たり前は、幸せなこと。

考えられる。
手を動かせる。
物を見ることができる。
耳で音を聞いて、風を肌で感じられる。
やりたいことがある。
食べるものがある。
住む家がある。
言葉が話せる。
文字を書ける。
好きなものや食べ物がある。
家族がいる。
猫がいる。

小さいかもしれないけど、私にとってはどれか一つでも欠けると辛い。

不幸を数えて、不幸な自分を嘆いてしまいがちだったけど、そうじゃない。
今ある幸せを噛み締めていきたい

そもそも、不幸というものはない。
苦難は成長のもと。感謝すべきこと。
何かあるのが人生なのであって、何事もない人生はない。

全ての人、動物、物、自然、出来事に感謝する大切さを噛み締めた。


学び③:言葉・言霊(ことたま)

ワーホリしていて、英語がよくわからない環境に身を置き気付いたこと。

言葉が伝わることは、すごく楽で、それだけで十分なアドバンテージ。

ワーホリ前は、自分の考えていることや意思を心に押し込めがちだったけど、言葉が伝わるならなんとでもなる、といった、ある種の自信がついた。


そしてもう一つ。

言葉が伝わらなくても、結果的に物事が進めば良いので、

店員だったり相手の態度や言葉の選択など細かいことを気にする必要がないことや気にしないことに、心の安らぎを感じた。

日本では、ちょっとした嫌な言い方に疲弊していたものだが、それは意味がないことだと学んだ。


ラスト、もう一つ。

英語でうまく伝えられないから、余計なことも言わなくて済んでいる。

口は災いのもとという言葉がある。

こちらが意図していっていなくても、相手に誤解されたり、相手を傷つけてしまったりすることがある。

そもそも余計なことを言わないと無駄なトラブルは起きない。

口から発する言葉には、十分に気をつけることの必要性を感じた。

日本には言霊(ことたま)という考えがある。
言葉にはたましいが宿っていると言う考えだ。

それぞれに魂が宿っていて、それだから縁起の悪い言葉は使わないようにしてきたのが日本の文化だし、それは、口から発する言葉は相手のためによく考えて使いなさい、という一つのメッセージなのかなと。

言葉を発すると思考がそちらに傾いてしまうこともあると聞いたことがあるし、だからこそ、人の悪口や相手を下げるような言葉、自分を卑下する言葉を言うと、どんどん引きずられていってしまうのだと。

口から出す言葉に気を付け、よい言葉を使っていきたい。


◉来年の抱負

来年は、自分のやりたかったことをひとつ残らずやりきること
いつ死んでも後悔しないように、この有限な時間を精一杯生き、自分の頭で考え、執着せずに柔軟に生きて、自分の幸せを自分の手で掴み取ること!

ワーホリで見つけた私の目標、生きるゴールを、私の自分ワールドを作るためにたくさん行動していこうと思う!

短いけど、以上!

おまけ:ワーホリの記録note

数々の投稿に、スキを押してくださった心が豊かな方たち。
心の底から感謝いたします。
孤独な気持ちのときや、辛いと感じているとき、励みになりました。
本当にありがとうございました!

今年も残り僅かですが、皆様が人生の旅を味わい、たくさんの経験と感動を得られるよう願っています。

この頃から方向転換

成長日記が飽き出したとき。
学びのことばも、全然出てこないし。
成長スピードが遅くなったのを感じた。

Canva というアプリにハマり出す

この頃から、Canvaという編集アプリで、ブログバナーを作るのにハマり出した。
結構楽しい!
上手になりたいな〜

何てことのない、一言日記(^^)

おまけのおまけ。私の推し神社⛩️

以前、noteで交流していた方とお会いしたときに、推し神社の話になった。
その方も神社が好きで、いろいろ教えてくれたので、日本に帰ったら行ってみようと思う!

推し神社という言葉、はじめて聞いた!すごくいいね、推し神社!

ということで、私も推し神社はどこか考えてみた。

私の推し神社は、高千穂神社。
すごく心があったかくなる神社。
夜は毎日夜神楽をしていて、神話を、高千穂の伝統を伝えてくれる。
定員は100名まで。誰でも見ることができる。

愛をくれた神社。

私が大好きな神社。

大好きな高千穂神社。
ちなみに毎朝5時から倫理塾をやっているみたい。行ってみたい。

いいなと思ったら応援しよう!

くろもち大福〜旅ねこ〜
スキを押すのでは足りないっ!すごくいい記事だと思ってくださった方に、チップをおすすめします♪ ※最後まで読んでくださり、ありがとうございました! 何かのお役に立てれば幸いです。