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心に門番を~話半分で聞く~
他人はあなたの人生の責任をとらない、とれない
話半分で聞くことの重要性について考察します。
私たちは他人の言葉を聞いて生きていますが、
これらを無条件に受け入れすぎることに問題があります。
深く考え込んでしまったり、
傷ついてしまったりするからです。
私たち人類は、集団として行動することで、
生存してきました。
このため社会性を重要視します。
それによって人の発言を重要なものととらえる性質があります。
社会性を重んじることは大切ですが、
自分の状態を悪化させるほど、
他人の話に耳を傾ける必要はありません。
アドバイスや助言は有用ですが、自分の状態を下げるべきではありません。
多くの人は、人の発言を真に受けすぎているように思えます。
しかし、
どんなことを言うとしても、
他人はあなたの人生の責任をとりませんし、
そもそもとれません。
発言によってあなたがどうなるか。
ということの結果を受け取るのはあなたしかいないのです。
もちろん、他者のアドバイスによってあなたが良い結果を獲得し、
一緒に喜ぶこともあるでしょう。
しかし、あなたの行動の結果、何を体験し、何を感じるか。
はあなた以外には認識できません。
他人はあなたの視点で物事を見ることができないからです。
他者の発言はあくまできっかけにすぎず、
その発言を受け入れるのか。受け入れないのか。
は100%あなたの選択によるものだと認識する必要があります。
誰でも家に入れない
あなたは誰かが家に訪ねてきたとき、
誰でもリビングに通しますか?
この質問に対して、
多くの人が、「そんなことはしない」と答えるかと思います。
他人の発言も、家への訪問と似たようにとらえると良いのかもしれません。
家に訪ねられて、
相手が誰なのか。
その人を家に入れるべきなのか。
当然考えるかと思います。
誰でも家に入れていては安全が脅かされるからです。
発言に対しても、同様に、
その人の発言を聞き入れることで自分がどうなるか。
というのは持つべき観点だと思います。
自分が損をするだけの場合、聞く必要はありません。
もちろん、耳障りのいい話だけを聞けばよいという話ではありません。
一時不快でも向上のきっかけになるといったことは少なくありません。
重要なのは、家に入れるか入れないか。
また、インターホン越しで話すか。玄関先で話すか。応接間まで通すか。
もしくは居留守を使い、一切話さないか。
相手に対して、どのような態度をとるのか
すべて自分で選択し、受ける結果はすべて自分に責任があると認識することです。
あなたが家に入れた人間が、強盗だとしたら、
入れてしまったあなたの責任です。
家であれば無理やりということがありますが、
他人の発言を受け入れるか、受け入れないかということに関しては、
それより、あなたの選択次第となるでしょう。
責任をすべて持つというのは大変なことのように思えますが、
(人のせいにできないので、実際にそういった面もありますが。)
すべての出来事は自分で決めることができるという希望ととらえるべきです。
今上手くいっていなくても、自分次第ですべ手良い方向に向かわせることができるのです。
心に門番を
他人からの発言で、
心がネガティブな方向に動きそうなとき、
この発言は聞くべきだろうか。
一瞬立ち止まり、
通すべきか通さないべきか、
検問を通してみてはいかがでしょうか?
あなたの人生をより良くするなら通す。
そうでないなら通さない。
そうなるとほとんど入場拒否かもしれません。
しかし、それでも大丈夫です。
他人はあなたの人生の責任をとってくれるわけではないのですから。
他人に振り回されず自分の人生を生きましょう。