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学びたいことを学んでいる時が一番楽しいし成長しているんだよ

 長女(4歳)と同じくらいの時期の子は何かに熱中すると、止まらなくなるものなのでしょうか?

 プラレールや働く車、恐竜、ブロック、プリキュア、仮面ライダー、アンパンマン?そういったものに熱中しまくっている子をよく見かける気がします。長女の場合、その熱中するものが「創作」だったようです。

 最近の長女は、クリエイティブが止まりません。保育園でも創作活動が始まったからでしょうか。先日は妻と図書館に行き、おり紙の本を4冊、工作の本を4冊借りてきました。全部できるわけないけど、そんなの関係なし。自分がワクワクしているからそれでいいのです。

 そして僕に教えてくれます。
「学びたいことを学んでいる時が、一番楽しいし成長しているんだよ」と。


➣学ぶことが楽しい長女

 最近の長女は、朝起きてすぐリビングの工作コーナーへ行き、本を開きます。そして、気になるものを見つけたらさっそく創作開始。いつもはよくしゃべるけど、だまってもくもくと作ります。保育園に行くまでに1時間しかないのに30分くらい創作。ひと仕事終えたら急いで朝食・着替え・歯みがきをして保育園に向かいます。

 保育園から帰ってきたら、再び工作コーナーへ。熱中して何かを作り始めます。ご飯の時間になってもやめません。お風呂に呼ばれても気づきません。創作意欲が凄すぎてびっくりしています。

 ペットボトルキャップ、トイレットペーパーの芯、牛乳パック、段ボール…。これらは娘にとって貴重な資源です。材料が足りないと補充しておくように僕と妻に要求します。

 そして完成したものを、得意気に見せてくれます。使い方や遊び方、工夫したところを散々語り、数分遊んだら次の作品をつくり始めます。どうやら完成するまでの過程が一番楽しいみたいです。


➣「遊び」の先にあるアクティブラーニング

 職場復帰の足音が聞こえてきた僕の、最近の頭の中は、授業づくり、授業改善、アクティブラーニング。

子どもたちが社会に生きる力を身に付けるために、何ができるかをもっぱら模索しています。まだ思考の整理がつきませんが、長女を見ていると、「授業だってこれでいいじゃん」と思えてしまう時があります。

自ら工作コーナーに向かい、作品作りに熱中する。自分にできそうな課題を見つけ、諦めずに取り組む・・・主体的◎

作品に思いをのせて表現する。その思いを相手に伝わるように話す。必要なときは大人に協力を求める・・・対話的◎

新しい課題を見つけ、作品づくりに励む。より困難な課題にチャレンジする・・・深い学び◎

 もちろん授業がすべてこれでいいわけがありませんが、根本にあるのはこういうことかなと思ってしまうわけです。余計なことを取っ払って、極力シンプルに。

子ども自身が「やってみたい!」と思う課題を見つける
➜(大人や友達のサポートを受けつつ)自らの課題に取り組む
➜課題が解決する。さらに深い課題が見つかる

 レベルは全く違いますが、長女が「遊び」だと思ってやっていることも、仕組みとしてはアクティブラーニングと同じ。「遊び」の延長にある、このシンプルな仕組みを授業では他教科に、他分野に広げてとらえていくイメージ。

 このイメージなら低学年からでも取り入れていきやすい気がします。もちろん取り入れやすい教科や授業内容はありますが…。


子どもが子どもらしく輝いている瞬間

 これくらい単純だったらいいんですけど、そこに「工業化の志向」の雑音が入ります。

「身に付けさせないといけない知識や技術はどうするの?」
「全部子どもが『やってみたい!』と思える課題とは限らないよ?」
「これで本当に全員が学んでいることになるの?」
「遊びみたいなことをしてていいの?」

 ごもっともな意見なのですが、それじゃ先に進めない気がするんです。

 少し雑ですが、言い分を書かせていただくと、
「同じ力がつくのなら、子どもが楽しんでやる方がいい」
「『学びたくて学ぶ』ことこそ、社会でも生きる力となる」
「『遊び』のニュアンスがあるから、クリエイティブな活動ができる」
ということ。

 大人の事情で難しいことを考えずに、目の前の子どもたちを見ていれば、おのずと答えは見えるような気がします。すなわち、長女が教えてくれた「学びたいことを学んでいる時が、一番楽しいし成長しているんだよ」ということ。僕は、この辺の教育観を高めないと、いくら授業改善、アクティブラーニングと言っても結局はうまくいかないと考えています。それも教師個人でなく、学校全体、そして社会全体としてです。

 子どもが子どもらしく輝いている瞬間

 それを大人がたくさん見つけていく中に、これからの教育の目指すべき答えがあるのではないでしょうか。

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