人間のやることは変わらない。
報道によると、ロシアのプーチン大統領は本当の戦争の状況を知らない可能性があるという。側近たちがプーチンを恐れて都合の悪い情報を伝えていないのではないかというのだ。
「都合の悪いことは怒られるから言わない」なんて、私たちサラリーマンの身の回りでも起こりうること。というより、サラリーマンであっても程度の悪い部類だろう。社外に出す情報は吟味するとしても、社内での情報共有でそんなことをしていたら、適切な対応などできるはずもない。
こんなことが軍事大国・ロシアの政府中枢で起きているというのだから、ロシア政府の高官も所詮は同じ人間ということだ。相手がプーチンの場合は身の危険もあるから恐怖の度合いは違うが、それにしても、私たちと変わることはないのだと思う。
私たちはつい、政府要人であったり、国会議員のような人がやることは、自分とは全く違う高い次元でやってるのだろうと勝手に思いがちだ。しかし実際は、知識や役割の範囲こそ違っていても、同じ人間のやること、本質的には大した違いはないのである。
私は本業がシステム屋で、一応は技術職だから良く分かるが、専門的な職業に就いている人が必ずしも本当の専門家とも限らない。専門知識のレベルもまちまちだし、特定の分野の専門性の高い人は狭い範囲のことしか知らないこともよくある。自分が実際に経験した、限られた範囲の知見ですべてを理解しようとして間違ってしまうこともよくある。
今ではITシステムの知識もかなり一般に広がってきたから、一般の職種でも「うちの担当のシステムエンジニア、あんまし分かってないんじゃない?」などと疑いを持った経験のある人も多いのではないか。専門家といっても同じ人間であって、そうそうスーパーマンはいないのである。
私は日頃「なぜ日銀はもっと金融緩和しないのか?」とか「政府はなぜコロナを2類から5類に変えないのか?」「なぜ中国には強く出られないのか?」「国会はなぜ憲法9条を改正しないのか?」といった疑問を持っていた。分からなかったのは、これらを議論すべき政府関係者や議員も人間として私たちと変わらない存在なのだ、ということなのだろう。
人は誰も、周囲との軋轢など生みたくはない。周りが1つの意見に傾いているとき、自分だけ異論を主張するのは勇気のいることだ。それに余程自分の知識に自信がないと、もし間違っていたらどうしようと必要以上に不安にもなる。そういった心理は、私たちも政府要人も国会議員も同じである。
そう思えば、政府や国会の見方も変わってくる。何が起きているのか、想像しやすくなる。
一度「金融緩和は悪」という考えが広まった政府・日銀内で「もっと金融緩和を」とは言い難いし、当初は言っていた黒田総裁が在職年数を経るにつれあまり大胆な緩和策をしなくなったのも、だんだんと周りの人との調和と取るようになってきたのだろう。
コロナを5類相当に変えたとして、もし重症者数や死者数が増えたら自分の責任を問われてしまう。今のままで大きな批判がないのであれば、敢えて変えようと思わないだろう。
例えハッキリとした賄賂など貰っていなくても、日ごろ中国の政府関係者と親しかったりすると、中国へは強く出にくくなる。「あの人、怒るかもしれないな・・・」などと思いながら対中人権非難決議などできない。
憲法改正の議論が一向に進まないのは、これらが複合した状況なのだろう。何せ、日本が主権を回復してから70年も停滞したままなのだ。
であれば、例えば金融緩和をもっと推し進めたいと思うなら、そういう考えを多数派にするしかない。たとえ政府や国会内での少数であっても、世論の多数の意見であれば押し通せるはずだ。
本来ならばマスメディアの役割だろうが、日本のマスメディアはあてにならない。金融緩和が必要という意見は少数だし、コロナを5類相当へ変更すべしという話もあまり聞かれない。ネットなどを通じて何とか世論の向かう方向が変わって欲しい。
私の書くnoteなど微力すぎるが、多少でも「そういう意見もあるのか」と気づいてくれる読者がいれば幸いである。
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