
再びあの時のやさしさに触れて。
付き添いで行った病院で、
看護師さんから「傷は治りましたか?」と声をかけられました。
マスクをしたお顔を見て
あ…!
「覚えてくださってたんですね!あの時はお世話になりました」
と。
2020年の12月に大怪我をして、緊急の処置の時も、毎日の消毒のための通院でも、お世話になったのです。
「あの時は大変でしたもんね。ここでね。」
と、その当時、コロナで病院も厳戒態勢の頃で、感染対策用の処置室になっていた部屋に目をやって、看護師さんがおっしゃいました。
なんだか懐かしい…。
朝のウォーキング中、交通事故ではないけど相手がいる事故で、その相手は事情があって(と言っても去っていかれた時はショックでしたが)その場からいなくなり(後から病院を探して来られました)周りは畑で人もおらず、救急車を呼ぼうにもじっと待っていられないほどの痛みだったので、近くに外科病院があると思い出し、自分で歩いて病院に行ったのです。
あの時、ダンナサンとも電話が繋がらなかったけど、咄嗟の判断が良かったと自分で思います。
緊急で処置して下さったお医者さんの対応は、その時の処置も、そのあと長く続く治療も、最後にかけて下さった言葉も、とても誠意があって、親身に適切に対応して下さって、今でも感謝しています。
その事故は、こんな事故に遭遇することがあるなんて、という、思いもよらぬ事だったけど(具体的に書いてもいいのだけど恐ろしいと感じさせてしまったり痛々しいので書きません)
なんで私がこんな目に?
とは思わなかったんですよね。
いや、思ったかな?笑
過ぎたら忘れるものですね。
精神的に落ち込んだり、ネガティブになったりはしました。
でも、世の中では、私が平穏に暮らしている時もどこかで、理不尽な事故に遭ったり、突然の事故でご家族を亡くしたり、恐怖や痛みや苦しみ、悲しみの中にいる人がたくさんいるんだな
ということを強く感じて、
人の痛み
のようなものに思いを馳せる
という時間でもありました。
それと同時に、友達やご近所さんなど、人の優しさ温かさを身にしみて感じ、ありがたかったし、
家事の全てと、事故対応をしてくれたダンナサンにも感謝しました。
そして、何より感謝しているのは、うちの猫ちゃーのことです。
私はその事故で、腕から太ももにかけての左半身に怪我を負って、思うように動けない期間がしばらく続いて、座ったら座ったまま、という時に、私が床に脚を投げ出して座ると、ちゃーはその脚にぴったりくっついて寄り添ってくれていました。
私が立ち上がる時には、心配そうに私が歩くそばを付き添ってくれていました。
それまで、ちゃーは私と一緒に寝ることはなかったけど、私が怪我をしてから、私の布団に入って、私の右の脇にぴったり寄り添って寝てくれました。
左半身を怪我していたので、右を向いて寝ていたのです。
痛みで眠れないこともあったけど、猫と身体をくっつけて寝ると、心も身体も癒されました。
人間と暮らす動物はみんなそうだと思うけど、その頃のちゃーのことを思うと、本当に健気で涙が出ます。
ちゃーには、そんなことがあってもなくても、いつもただいてくれるだけで感謝しているし、怪我をした時の感謝の気持ちを忘れてはいません。
でも、今日、病院で声をかけてもらって、あの日のことを色々細かに思い出して、なんだかまたたくさんの優しさに触れて、改めて感謝し、温かい気持ちになったのでした。
タイトル画像は、縁側のお気に入りの椅子でお昼寝する最近のちゃーです。

