掌編小説:顧客満足・不満足
「『滝川クリステルさんの、お・も・て・な・し、に私は感動いたしました。私どもが取り入れなければならないのは、まさにこのサービスなのです。危機的経営状況からの脱却を期待されて外部から社長職へ招聘された私といたしましては、社内外のあらゆるしがらみと雑音を排除し、不退転の覚悟で革命的なサービスをお客様に提供してまいります』――と、本文は以上です」
「うむ。そうだな、それに続けて、『私どもは二〇二〇年までに、わが国を代表する航空会社に成長して、世界中から多くのお客様を日本にお運びいたします。ご期待ください――と、多野倉氏の鼻息は荒い。ライム・エアから当分目が離せそうにない』 これでどうだ?」
「いいですね。ではその一文を追加して最終稿とするよう、週刊実業社にゴーサインを出します」
広報部長は納得して、多野倉栄一社長にくっついて動く取り巻きから離脱した。
秘書が歩きながら念を押す。
「社長、ここの会議は十時二十五分で退席してください。三十分から面接室で国交省担当者との打ち合わせです」
「わかった。おい山田くん、ここの会議資料は?」
「こちらです」
多野倉は山田CS顧客サービス本部長から手渡された予定議事を一瞥すると、添付資料の束を無造作に丸めて手に持ち、取り巻きを振り切るような形で、顧客サービス戦略会議の会議室に大股で入っていった。
三十名からの出席者が一斉に起立する。
「おはようございます」
「おはよう。諸君。では個々の企画の進捗を手短かに報告してください」
「ロ」の字型のいちばん奥の席に多野倉社長が座ると同時に、全員がザッと着席し、間髪入れず、プロジェクター前の、大坪純也CS第一課長が起立して報告を始めた。
「着席と同時にお客様の体重と肥満度を音声でお知らせする『スカイ・ウェルネス・シート』の全席導入にはメドが立ちました。ウエストサイズを自動計測して声でお知らせする『へるし~と・ベルト』も標準装備し、基準をオーバーしたお客様へは、座席前のパーソナルモニターテレビが自動的に起動して、六か国語対応の健康指導番組が六十分ノンストップ放映されます」
「うむ。これからの飛行機は、禁煙やベジタリアン機内食などの従来の枠を超えて、お客様の美と健康の維持にもっと積極的に関与していく、インフライト・ヘルス&ビューティーを推進していかなくてはならん」
「次に、独身の男女のお客様を、サプライズ的に隣同士の席に割り振る、ドキドキ・ハニー・シーティング・サービスの件ですが、男子大学生が、お爺ちゃんと死に別れたばかりの米寿のお婆ちゃんと隣り合っても、ロマンスは生まれにくいだろうという意見がプロジェクトチームから出まして、現在、マッチング要素に年齢を加味するよう、プログラムを修正中です」
「これはどうなった?」
多野倉は資料の六ページを皆に見せながら、指でトントンと紙面を叩いた。
「は……ああ、はい。有名占い師の目視による、搭乗時のお客様の余命お知らせサービスですね。もし社長が前回ご提案されたように、全乗客にこれを告知いたしますと、搭乗口が混雑し、定時運行に支障が出ますので、提携する占い師協会と打ち合わせた結果、申し訳ありませんが、死相が出ているけれど、そのご自覚がないお客様だけに限定してお声をかけ、お知らせして差し上げるという方向でいかがでしょうか」
多野倉は不機嫌になった。
「全てのお客様に平等に便益を提供する、ユニバーサル・サービスの理念が担保されていないと私は思うがね」
大坪課長の顔色が変わった。
「も、申し訳ありません。ただ、その代わりと言ってはなんですが、社長のもう一つのご提案でした、お客様がおやすみの間の、客室乗務員による嬉しいサプライズ、『持ち込みお手荷物の中身、整理整頓サービス』は、ビジネスクラスだけではなく、エコノミーのお客様にも平等に実施できそうです。サービスの名称も、『寝てる間ま天使のお片付け♪』と変更し、サービス実施中の客室乗務員には、天使の羽根と頭の輪っかの着用を義務付けて、外見上、犯罪者と区別する予定です」
「うむ。整理を終えた手荷物には、『このお手荷物は私が整理しました』カードを必ず入れておくように」
「はい。仰せの通りに」
「そうだ、ファスナーのつまみに、『除菌済み』の紙タグをつけると、より行き届いている。検討したまえ」
そう言うと多野倉は咳払いしながら立ち上がって皆を見回した。
「諸君、顧客の期待に応えることで得られる『顧客満足』に満足してはなりませんぞ。我々が目指すのは、顧客の期待を上回る『顧客感動』なのです。顧客の想像のつかない快適性を提供してこそ、はじめて他社との差別化ができ、この過酷な競争に生き残れるのです」
会議室から退席する多野倉が万雷の拍手で送り出される中、ひときわ身体を小さくしてうつむいていたのは、赤字の責任を取ってヒラの取締役に降格された、国交省からの天下り元社長、今井和夫だった。元部下たちが多野倉新社長に迎合しているのがたまらなくいまいましかった。彼はうつむいたまま独り言を吐き捨てた。
「へっ、まさしくバカ社長にミス・リードされる、『お石灰ライム・エア』だ。うまくいくはずがないわい!」
新生ライム・エアはうまくいった。
下心のない、真心のサービスを追求する、「うら・お・も・て・な・し革命」と銘打った多野倉サービス改革は、その方法論において大いに巷の物議を醸したが、テレビやインターネットを通じて、これまでのビジネスマンに代わって、国内外のリベラルな女性や若者世代を中心に熱烈に受け入れられるようになっていった。
すなわち、ベストセラー痩身本の著者たちが、インストラクターとしてこぞって出演、指導する機内健康番組はバイブル的人気となり、ダイエットを志す老若男女が、番組を視聴したいという、その目的だけで搭乗した。特に女性をターゲットにした、ライム・エアを利用しての『痩身インストラクターと行く海外ツアー』企画への申込み倍率は史上最高を記録した。
ドキドキシートで隣り合わせたカップルが結婚したことが報じられると、世界の独身者が殺到し、機上カップリング・パーティー専用の臨時便が飛ぶまでになった。
死相を指摘する占い師は、指摘された客に請われてそのまま飛行機に搭乗し、目的地に着くまで有料で相談に乗るようになった。
客室乗務員たちは「ライム・エンジェルちゃん」としてアイドル化され、手荷物を整理整頓されたい乗客全員が寝たふりをしたり、手荷物の中にファンレターを忍ばせたり、ファンの乗客がエンジェルちゃんが触れた取っ手の除菌を拒否したりして、サービスの質が維持できなくなり、一時中断に至ったものの、担当部署は、ファンの溜飲を下げるため、お詫びにライム・エンジェルズのデビューシングル、『愛アイム・空そライム・旅しタイム』の限定盤DVDを搭乗客にプレゼントすることを記者会見で発表して話題になった。
就任から一年、多野倉は、職務に加え講演や取材対応で多忙を極め、このところ疲労困憊も甚だしかった。
昨夜講演した福岡のホテルでも、講演後は部屋のベッドにスーツのまま臥せって、気がつけばもう朝だった。東京に戻って十時からの経営会議に出席するため、田野倉は、疲れのとれぬまま、部下を引き連れて自社の早朝便のシートにぐったり身を沈めた。その耳元で、スピーカーが癇に障る女性の合成音を発した。
「五十九・三キログラム。多野倉栄一さま男性五十八歳二か月、前回搭乗日の昨日より〇・八キロ落ちています」
横に座った山田CS本部長が遠慮がちに多野倉に訊く。
「社長、外国人のお客様が当社機で日本に着いた時に、乗降口のところでお客様の首に、和菊で作った花輪をかけて歓迎する、例の企画ですが、和服の女性スタッフの横で、次々と菊のレイを手渡すゆるキャラの愛称候補を絞り込みました。『れモン』、『ばかモン』、『あわてモン』 の三つです。
多野倉はうんざりした様子で山田の顔すら見ずに吐き捨てた。
「ライム・エアのゆるキャラがなぜレモンなんだ、ばかもん」
「はっ。それでは、『ばかモン』で」
「違うって、この慌てもんが!」
「あ、『あわてモン』がよろしいですか」
「はああっ、どうして君はそう昭和ボケなんだ!」
その時、多野倉の額に浮いた癇筋にビビりながら、シート脇の通路に占い師がしゃがみこんだ。
「あのー、多野倉社長さんだからさっきは躊躇しましたけど、やっぱり、ちゃんとご指摘しておいた方がよいかと思いまして……」
さらにその時、すぐ後席でスマホの電源を切る直前に着信したメールを読んでいた秘書が、血相を変えてその占い師に「後にしてくれ」と言って退かせ、後ろから多野倉に小声で告げた。
「社長、渡辺太郎国交大臣の秘書官から緊急呼び出しが入りました。大臣が、今朝の新聞のトップ見出しの件について、東京の官邸で多野倉社長から直接話が聞きたいと」
「渡辺大臣が? 朝からどうされたというのだ」
秘書は、多野倉の視線の先、機内前方の天井に設置されたビデオカメラを指さしながら、腫れ物に触るような声でぼそぼそと説明した。
「社長、今ウチは、飛行中のお客様が安全に空の旅を楽しめているか、地上のご家族やお友達が、インターネット上で機内のライブ映像を直接確認できる、『ご家族あんしんモニターサービス』 やってますよね?」
「ああ。先週、運用開始したばかりのやつだろう?」
「はい。その存在を渡辺大臣はご存知なかったようです」
そう言って、秘書は多野倉におずおずと朝刊を手渡し、一面の見出しを指さした。
「渡辺国交相、公務中愛人と空の旅。ネットで国民に実況中継」
しばらく無言で記事に見入っていた多野倉は、秘書に命じた。
「さっきの占い師をここへ呼んでくれ」
(了)
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