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捨て犬の眼で私を•••

2007/05/04
(この記事は2007年、母がまだレビー小体型認知症と診断される前のものです)


母は時々、捨てられた犬のような眼で、私を見る。話したいのだと思う。もっとかまってほしいのだと思う。母が淋しいことを私も知っている。

昨日夕方買い物へ出る前に、母の部屋を覗いた。母はソファに横たわって疲れきった顔をしていた。「池袋へ行って来たのよ」と言う。「ひとりで?」と訊くと、「Mと一緒に」と言う。

Mは私のもうひとりの姉だ。心身ともに病弱な人。基本的には家にいて、超多忙な姉の手伝いなどをしたり、週に5日、母の食事の世話などをしてくれている。

朝は珍しく血圧が高かったので、大丈夫かと思ったと言う。結局自分のものは何も買えず、テーブルの上には小さなお饅頭の入った箱が置かれていた。せっかく気持ちを奮い立たせてデパート街へ出向いたのに、母が買ったものは「1個10円よ」という饅頭だけか。

それでもどうにか電車に乗って帰ってくることはできた。でも練馬駅に着いたら「腰がくだけちゃったのよ」。歩けなくなってしまい、徒歩12分程度の道をタクシーに乗って帰宅したのだと言う。

母を見ていると「喪失」という言葉がいつも頭の中を巡る。母はあまりにも短い時間に、あまりにも多くのものを失っていると思う。

「欲しいものなんか、何も売ってなかったわ」と呟く。「食べる」ことにも「住む」ことにも興味のない母が、唯一好きなことは「着る」ことだった。

今でも通販で服を購入しているけれど、やはり店で試着をし、会話をしながら買い物をするという楽しみが奪われてしまったことは、母にとっては大きな喪失のひとつに違いない。

このところ私はちょっとバタバタしていることが多かったので、あまり母の相手をしてあげなかった。時間をつくろうと思えばつくれるのだけれど、あまりその気になれなかった。

母はいつも部屋でボーっとしている。「なんかやることはないの? 楽しいこととかないの?」と訊くと、「なあ~んにもありゃしないわよ」と吐き捨てるように言う。なかなか不幸な人なのだ。

今まで私もいろいろな物を提供してみたが、どれひとつとして長続きしなかった。脳ドリルとか鉛筆でなぞるシリーズとか大人の塗り絵とか…。

今さら母は変わらないだろう。でもつまらない母の晩年に何か、遺してあげることはできないか。何か、できないか。それはおそらく大袈裟なことなんかではなくて、毎日の日々の中で淋しい犬の眼をした母の相手をしてやればいいことなんだろうとは解っている。

だけどそんな簡単なことが、なかなかできない自分がいる。

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