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転院
2008/10/24
(この記事は2008年のものです)
昨日、母は小手指の方の病院に転院した。中野の病院を去るとき、ストレッチャーに乗ってエレベーターの前で待つ母のもとへ、次々にナースがやってきて、見送ってくれた。
「お元気でね」
「良い病院が見つかって良かったですね」
「また逢いましょうね」
母は眉を八の字に歪めて、泣く。
母はこの頃、よく泣く。傍にいた私も、ついもらい泣く。丁寧に頭を下げて、エレベーターに乗り込む。
救急車くらいの介護タクシーは、運転手と付き添いの2名が同乗。姉と私も一緒に乗り込む。
「手を握っていて」と母は言い、時々泪が頬を伝う。
母は結局、パジャマのままストレッチャーに乗った。前日まで服のことをアレコレと注文つけ、昨日も私が母ご指定のカーディガンを持参したけど、看護師さんに「普通皆さんパジャマのまま行きますよ」と言われたそうで、すぐにその気になった。
アイブローペンシルで眉をかき、口紅を塗っていくつもりでいた母だったが、そんなこともまったく口にしなかった。
病院は、中途半端な田舎にある。緑の多い、でも別荘の建ち並ぶような自然の中ではなく、だけど住めと言われたら断りたくなるような、そんな感じのところだ。
部屋は広々とした4人部屋で、同室の女性はみな大正生まれの方々だと思う。名前がカタカナ二文字の時代の人達だ。真っ白い髪をして、小さくなって静かに眠っている。母はひとり大きくて、異様に若い。
母は入院してから、顔の皺がなくなった。痩せて目がパッチリとして、重力で垂れ下がってきていた瞼や頬が、長く寝ていたせいかスッキリとした。顔だけ見たら、以前よりもずっと若くなったように見える。
スタッフに歳を訊かれて答えると、いつも驚かれるという。母はやっぱり、なかなか綺麗な人だなと思う。
新しい病院のスタッフは皆良い人で、とても丁寧に、感じよく接してくれる。担当の女性医師はいかにも医師らしくサバサバと自信に満ち溢れ、看護師長は丁寧で思いやりに溢れ、いかにも頼りがいがある。「任せておけば大丈夫だ」、そんな気持ちにさせてくれる。
今日も、病院へ行った。練馬から西武線で30分ちょっと。そこからバスだ。なんやかや、家を出て1時間強かかるかな。
私が病室へ行くと、母は震えるように呟く。
「いつもどおりに来るかと思ってたから、どうしたのかと思った…」
母は今までのように私たちが、昼食の介助に来ると思い込んでいたようだった。そういえばはっきりと、いつ訪ねるとも明言してこなかったことを詫びた。不安だったのだろうと想う。
9月の初旬に中野の病院に再入院してから、母は結局一度も入浴ができずにいた。今日は久しぶりにお風呂に入れてもらい、喜んでいた。ベッドごと運ばれて浴室に向かう母を見送り、私は外を眺めたり携帯をいじったりして待った。
「素晴らしい設備!」と、入浴を終えた母が言う。寝たままの姿勢で入浴させてもらえる。
母が「触ってごらん」と言って手を差し出す。なんとなく黄ばんでいた母の手が綺麗なピンク色になって、しっとりとスベスベのやわらかい肌に生まれ変わっている。「一皮剥けたのよ」
母はところどころ不満も漏らす。今日は足の裏の何かしらの苦痛を私に訴えたくて、懸命に言葉を探す。
「足の裏に、扉があるでしょ? それを開くとね、3つ載ってるでしょ?」
「何が載ってるの?」と訊くと、「足よ」と言う。
そう言いながら、「なんて言ったらいいんだろう…!?」と、自分の感覚を的確に伝えられないもどかしさにイラついた表情を見せる。母の身体は母にしかわからない。
「寝たきりの人に刺激を与えるため」、何か音楽を聴かせるのもいい、家族がカセットなどを持参すれば、スタッフの方がつけたり消したりしてくれるという。
週末は仕事なので、もう一度明日、私が病院へ向かう。
明日は小さいCDラジカセと、母の好きなイル・ディーヴォ、それから日本の昔の歌が入ったCDと、コーラスの時に唄った歌のテープを2本、持って行く予定だ。