「マイルドな地獄」
2010/5/17
「アンタのとこ、新聞何とってるんだっけ?」と、電話口で姉(長女)が訊く。「こないだの伊藤比呂美の、読んだ?」
ええ、ええ、読みましたとも。金曜の朝日新聞ね。【介護保険10年 何が足りない】っていうオピニオンページね。「すぐに抜き取って、とっておいてるわよ」って私が言うと、「私なんか、切り取っちゃったわよ」って姉が言う。
「死を不自然に延ばさないで」っていうタイトルの、詩人・伊藤比呂美の文章である。
文中で伊藤氏は、「『干からびて死ぬ』というのも自然な死に方のひとつだと思います」と綴っている。伊藤氏の母親が寝たきりになり、意識がまだしっかりしていた頃、一切の延命治療をしないでほしい旨を病院側に伝えたそうだ。
しかし「生きながらミイラになるのを見ているのはつらい」と、医師が栄養補給を行ったとのこと。身体が衰えて死に向かうという過程が不自然に引き延ばされるのは、本人にとっては「マイルドな地獄」ではないかと、さらに氏は綴る。
私も姉も同様に考えていて、母に胃ろうをつくる気はない。食べられなくなったら終わり。飲み込めなくなったら終わり。それが動物としての人間の、自然な在り方であるはずなのだ。
担当医もそういう考え方で、すべてのことを自然に受け入れる、それがいちばん良い方法だと、そういうふうに説明された。しかし現実に、母親が餓死していくのを目の当たりにしたら… 干からびてミイラ化していく様を瞼に焼きつけながら、その時を待つだけの日々を送ることを想ったら… それはとても恐ろしく、辛く苦しいことだろうと、容易に想像できるってものだ。
「まだここで死ぬわけにはいかないのよ」と、先日母は、生きることへの執念を見せたそうだ。娘や孫たちの幸せを見届けてからでないと、まだ死ねないのだという。
「シアワセ」なんていう、みんなにジャストフィットするパッケージなんて、この世にあるはずもないのに。
母は時々、自分に対してもっと積極的な治療が行われないことに苛立ちを見せる。もっと検査したり、診察したり、治療らしい治療が施されたりすることを望んでいる。「これじゃ治らない!」と思うらしい。
生きていて、ただ横たわっていて、死に向かっていくだけの時間、そこにどれだけの意味があるのかと想うのは、私の若さゆえの傲慢なんだろうか。本人の中に、意外なほどの生への執着があるのだとしたら、「マイルドな地獄」という言葉に頷いて延命を拒むのは、こちら側の都合の良い解釈に過ぎないのだろうか。
答えはきっと、最後まで出ない。私が寝たきりになってみないと、答えは出ない。そしてきっと、それが正解というわけでもない。
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