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母の誕生日
2007/06/03 22:20:57
(これは母が、まだレビー小体型認知症と診断される前の記事です)
誕生日だからといって、とりたててどうっていうことはなかったのだと、母は言う。
娘たち(私の姉たちね)と孫がプレゼントをくれるけれど、もうここ何年も、特に一緒に祝うとか、ケーキにキャンドルをともすとか、そんなことはなかったのだ。
いや、考えてみたら、私が子供の頃から、そんな風習はなかったように思う。昔から私が育った家庭では、あまりイベントを楽しむことがなかった。
だから私の9歳の誕生日に、その頃学校で流行っていたお誕生日会を開かざるをない立場に立たされた母が、はじめて自宅でイベントらしきものを開き皆から祝ってもらった日のことは、今でも強烈に憶えている。
友達数人からプレゼントをもらったこと、母がバスに乗って池袋の不二家までイチゴショートの丸いデコレーションを買ってきたことは、私を有頂天にさせた。ちょっとはしゃぎすぎて、後でほんの少し嫌な気分を味わったことも、少しほろ苦く、記憶している。
自分に子供が生まれて、私はイベントを大切にしたいと感じるようになった。家族の誕生日は、出来る限りは一緒に祝いたいと思う。いくつになっても自分が生まれた日を、そして歳をとったらおそらく、自分が生きて存在していることを、誰かが大切に想ってくれ、祝ってくれるのって、何より幸せなことだと思う。
今日は娘にも息子にも早めに帰宅してもらい、お寿司をとって食べた。私はサラダと汁物しかつくらないでラクしちゃったけど。
ケーキに、長いキャンドル7本と短いキャンドル5本を挿した。
「あら、この長いのが1本10年なんだから、短いのは1本でいいのよ」と、ワケのわからないことを母は言う。短いキャンドルは長いのの半分のサイズだから、1本で5年分だという意味らしい。え~、そんなことないよなあ。
娘が元気な声でハッピーバースデーの歌をうたい、盛り上げてくれた。娘からは可愛い花束のプレゼント。息子からは定番のチロルチョコ。
私からは昨日保護者会帰りに買った、ペパーミントグリーンの薄いストールだ。キラキラのティアラ柄がワンポイントで入っている。冷房の風よけに肩にサッとはおるようなもの。すごく綺麗。
あと何年、無事に祝えるかどうかわからないもの。あと何年、私のことを憶えてるかどうかもわからないじゃないの。
この先日常の記憶は失くしたとしても、幸せな記憶の断片は、どこかにこびりついたりはしないだろうか。そんなことを願ったりもする。