雨のち晴れのち雨
2011/8/5
めまぐるしく変わる、この頃のお天気。
曇り空から土砂降りの雨。そしていきなりの青空。
またも黒く立ち込める雨雲。そしてまた土砂降りの雨。
強烈な陽射しの下も、大雨の中も、同じ日傘をさして歩く。
母、急降下。
最近はまったくみられなかった妄想がまた始まる。
この間から、姉(長女)が誘拐されたことになっていて、無事生還したお礼に、母は文明堂のカステラだったかを持参して、練馬警察署に出かけたらしい。
警察署に出向いたことについて、母は今日もまだこだわっていて、「挨拶したはずなのに、その人の顔を憶えていない」とかなんとか、ぐちゃぐちゃと聞き取れない声で呟く。「頭がグチャグチャなの」と、母は困惑する。
母の嚥下力は日ごとに弱っていて、この間まで食べられていたものが、今日はもう食べられない。病院から出されるババロアは完食するけれど、それすらも後から痰と一緒に、少しずつ固まって吐き出される。
もう骨と皮だけだと、ずいぶん前から感じてきたけれど、それでも少し前まではまだ、いくらかの肉が骨の上にまとわりついていたようだと思う。今はまさに骸骨のうえに、緩やかに皮が貼りついている。
だけどきっとまだまだ、先はあるんだろう。今が限界ではないはずだ。
今日母の顎に触れたら、皮膚が硬くて動かなかった。肉が削げ落ちてしまったので、皮膚の上からそのまま頭蓋骨に触れているのだという感じがした。
先日の爪切りの一件で信用を失ったらしい私は、今日も爪をやすりで砥ぐだけにとどまった。母は爪を切られるのが怖くなってしまったようなので、私も無理はしない。「皮をこすらないで!」と、厳かに指示を出される。
「足に薬を塗って」と言うので、今日の「薬」はワセリンではないのか確認すると、そうではなく鎮痛剤だという。塗ったのか塗ってないのか、あまり手応えのない塗り心地のスティックタイプの固形剤なので、まあこんなもんかなと、足(というより骨)の上をクリクリして終えると、「雑ね!」と、冷たく吐き捨てられる。
ケアする人の中の、愛情だとか思いやりだとか労わりだとか、そういう気持ちの有無を、寝たきりの人って実はものすごく敏感に察知するんだろうと思う。塗り過ぎだろと思いながらもう一度、今度は母の足を擦ったり揉んだりしながら塗り直す。
「アンタの●□▲×はどこにいったの?」と母が訊く。「ん? 何? 私の何?」私は髪をかき上げ、耳を母の口元に近づけて何度も訊き返す。
母は何度も発音するのだけれど、どうしてもどうしても聞き取れない。たったひとつの単語が聞き取れない。いろいろな言葉を当てずっぽうで言ってみるけれど、どれも違う。左の耳にかえて聞き取ろうとしたけど、やっぱりどうしても、どうしても聞き取れない。
私は母に謝り、「イラつくわよね」と母のもどかしさだけを受け取る。
母の瞳に、絶望の色が滲む。
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