お口チャックという話
桃栗3年柿8年、塀に入ってはや10年。
こういうことはふと思いついても、普通は不謹慎だから口には出さない、というより出せない。
自分ではこれくらい大丈夫かなと思っていても、それは駄目だろうって人もいる。
そういうズレっていうのは、今や総出となって叩かれる恰好の的だ。
しかし、全てに配慮をするのは無理な話だと私は思う。
例えば今のご時世に配慮して喫煙シーンを無くすのに、犯罪行為が行われるドラマがやっていたりする。
タバコを吸うシーンには配慮が必要なのに、犯罪が行われるシーンは問題ない訳がない。
この時点で、全てに配慮することがいかに現実的でないかが分かる。
こどもが真似したらどうするんだってのも同じ。
フィククションや作り物をいくら規制したっては、現実では金メダル噛む市長がいたり、無免許運転する議員がいたりする。
その時はああいう大人になっちゃ駄目だよって言えば伝わるんだから、フィクションだってこういうことしちゃ駄目だって伝えれば理解する。
こどもだって、そんな馬鹿じゃないんだからさ。
結局はこどもをだしにして、自分が見たくないもんを排除してるようにしか思えないんだよな。
こういうことを言うと、叩かれたりするんだから何が言論の自由だよ。
なんてことを思う10月の終わり。