無駄こと、考える日に。

もし自分がいつ死ぬか分かっていたとしたら、その日までの1日、1日を意欲的に生きていくのだろうか。それとも、どうせこの日に死ぬのが分かっているのだからと、堕落的になるのだろうか。

こうした「もしも」の問いかけには、答えがない。意欲的に生きるのなら、やり残したことを片付けるように焦りながら毎日を過ごすのかもしれない。あるいは、いつもはやらない挑戦をしてみるかもしれない。逆に堕落的になるのなら、家でただ過ごし、現実逃避するかもしれない。考えれば考えるほど、想像が膨らんでいく。

私はこういう考えたところで何にもならないようなことを考えるのが好きだ。時間の無駄づかいだろうけどね。

仮に答えを出したところで、誰の役にも立たないし、何かが変わるわけでもない。だからこそ、そんな無駄な考えに浸るのは心地よい。何の意味もないことを思い巡らす時間は、思考から解放されるようで、むしろ贅沢だ。

ストレスを感じたら、こういうくだらない時間を過ごすのが大切だと思う。考えないようにしていても、結局何かを考え始めてしまう時は特に。

無理に明るい話題を探しても、ストレスを抱えている時にはなかなかそうもいかない。むしろ、答えのない問いに意識を逃がしてやることで、少しでも気持ちが楽になるのだろう。答えがないからこそ、そこに何かを見出そうとする必要だと私は思う。

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