頑張りと対価。

頑張りにお金は払われない。人々がお金を払うのは頑張りではなく、結果や知名度だ。まあ、これは当然といえば当然の話でそこに疑問を持つ人はあまりいないのではないだろうか。

しかし、それに反するように、頑張っている人が報われてほしいという人は少なくない。頑張りにお金は払わないのに、何故そういう気持ちになるのだろう。正確にいえば、その気持ち自体は理解出来るものだが、なら何故頑張りに対してお金を支払わないのだろうか。

実際は、頑張っている人が報われる云々なんていうのはどうでも良くて、そう言っておけば周りの印象が良くなるから言っているだけなのだろうか。そうであれば納得できるけど、そんな、私欲的な考えの人ばかりだとは考えにくい。

なら何故、頑張りに対価が払われないのかを私なりに考えて見たところ、結果や知名度に比べて、頑張りという尺度はあまりにも曖昧だからではないかと思う。どういう状態が頑張っていると言えるのか、逆に頑張っているとみなされない人は本当に頑張っていないのか、簡単に判断が出来ない。

頑張りの評価を大切にしたい人が沢山いても、頑張りという評価軸の扱いづらさが遠ざけているのだろう。この問題が解決それない限りは、頑張っている人が報われて欲しいって言葉は周りからの評価を高める為の都合の良い言葉として消費されるのかもしれない。



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