損得という話
正直で一生懸命の人より、ズルいやつの方が得をする場面を何度も見たという話をしている人がいた。
私はそれをみてそりゃそうだろうと思った。
ズルい部分がバレれば確かに信用されなかったりするだろうけど、人間そんなに正確に人を測れる目を持ってはいない場合が多い。
正直で一生懸命なだけの人とズルかろうがちょっと知恵の回る奴であるなら得をしやすいのは後者だ。
一休さんにも出てくる水アメの話なんかまさにそう。
一休さんが正直で一生懸命なだけだったらあの場は怒られているだろうし、何なら追い出される可能性もある。
一休さんのズルさ、正確にはズル賢さが生んだ得である。
このように、損得だけを考えて生きていくならズルさ、ズル賢さを持っていたほうが得しやすい。
しかし、正直で一生懸命に生きている人は損得で物事を測っていないからこそ、正直で一生懸命なんだと思っている。
損得以上に大切な基準を自分で持っているからこそ、正直で一生懸命に生きているはずなのだ。
例えば、学校の先生は生徒に注意するメリットなんかない。
口うるさいと嫌われるし、注意されたことで反発する様な奴も出てくる。
特に最近はハラスメントだ、モンスターペアレントだとデメリットが顕著だ。
それでも注意するのは損得じゃなく、その生徒の成長や社会へ出ていくために必要だと判断するからこそ注意するし、場合によっては怒る。
損得じゃない基準を持った人っていうのはそういうこと。
自分は正直で一生懸命なのになんでズルい奴ばっかり得をするのかなんて損得を考えてる人は、自分が思うより正直で一生懸命ではないんだと思う。
正直に一生懸命で生きてそれで更に得をしようなんて、人生はそんなに甘いもんじゃない。
なんてね。
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