【和歌】ループ/泡沫
君笑い
それ見た僕も
ついつられ
笑顔の連鎖
笑いのループ
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昔の和歌をお届けしまーす⭐️
笑ってはいけない場面や初対面で顔合わせの時とかで、誰かが笑うとつられて笑ってしまうなんてことあると思うんです。
つられて笑うシチュエーションはこんな場面以外にもたくさんあると思います。
自分が笑えば相手も笑い、相手が笑えば自分も笑う。
これほど美しく素晴らしい連鎖は、他にはないのではないでしょうか。
それにしても、笑顔を見るとなぜ自分も笑顔になるのでしょう。
特に面白いことや可笑しいわけではないのに、まるで写し鏡かの如しですね。
そんな風にして、笑顔が広まっていく様をいつかこの目で見てみたいものです。
↓↓↓↓↓↓泡沫(うたかた)↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
簡単に
壊れゆくもの
ばかり追う
ただその時は
知る由もなく
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身のまわりにもよくあって、よくよく考えてみたらほとんどがそうなんじゃないかってくらい、壊れてしまいやすいものや脆いものや消えてしまうものという儚いものが多いと思います。
追いかけている時は、追い付くことに必死で気付けないのかも知れません。
でも、いざ手にしてみたら簡単に壊れてしまったり、溶けてなくなってしまったり、そんなもので溢れているんじゃないかと考えさせられました。
目に見えるものも見えないものも、そこにあると信じて疑わなかったものは、実は最初からなかった、とか。考え始めたらキリがありません。
それでもなぜかそんなものを追い求めて、手に入れたと思ったら、無くなっていて…そんなことを繰り返す。
全ては夢か幻で、全ては脳が作り出している幻覚に過ぎないのかとさえ思ってしまうほどの喪失感が残るだけ。
必死に追い求めてきたものは、ただの蜃気楼だったなんてことが、砂漠の世界以外にもあり得るのです。
結果だけを見たら、悲劇に他なりません。
でも、過程だけを切り取れば、その時はきっと誰よりも一生懸命で全力で、がむしゃらに追いかけていると思います。
本気を出しても、知恵を絞り尽くしても距離が縮まっているのかさえわからず。
誰かと力を合わせてようやく手にすることができたものだったとして、喜びを分かち合いながらやっとの思いで手にすることができたとして、それがすぐに消えてしまったとしても、それでも本当に何も残っていないと言えるのでしょうか。その過程は、本当に無駄になるのでしょうか。無駄だと言いきれるのでしょうか。
その答えは、実際にその経験をしてその立場になった時に見渡した景色が答えとなるのでしょう。
追い求めたものは一つでも、残るものは一つではないのだと思います。
全ては泡沫の様に、生まれては消えていく。
水面の泡が、シャボン玉が、消えるように。
人の命も、人の一生もまた泡沫夢幻の如し。
泡沫夢幻(ほうまつむげん):水の泡と夢と幻。儚いことの例え。
最後まで読んで頂き、ありがとうございましたm(_ _)m