嗚呼

この世に生まれ

今を生きる僕ら

自我に目覚める頃には

人のカタチを疑いもなく

受け入れ

人として生きることを

本能的に理解する


感情を知り

言葉を知り

生きていく術を知る


自分の希望することを

躾だと切り捨てられ

自分の希望しないことを

教育だと叩き込まれる


そうして

この社会へ適応するための

土台が作られる


弱い命が無下に扱われる

涙や血が平気で流される

欺きや裏切りが蔓延る社会へ


嗚呼

だから希望を切り捨てられたのか

嗚呼

だから絶望を叩き込まれたのか

嗚呼

だからいつしか忘れたのか

人として生まれた本当の意味を

人が感情を表現する素晴らしさを


嗚呼

だから殺したのか

大切な自分の心を

護るべき自分自身を
********************
嗚呼、ああ…ウホン!あー…。すぅー…はぁー!!
アーーアアーーーー!!!どーもー!嗚呼、嗚呼と読んでるとターザンの掛け声が浮かんできた菜っ葉です(^^)
ジャングルで木に巻き付いたツタを使って、ツタのブランコとかで遊んでみたいなぁという子供の頃からの夢はどうも叶いそうにありません笑
知らんけど笑

さてさて、この詩はだいぶ偏った視点から描かれてますね。でも、あながち間違っているわけでもなさそう。だって、日本を含めて世界中に当てはまりますから。誰かが喜んでいる一方で、誰かは悲しんでいて、辛い日々を送っている。それがこの世界。
その世界の根底を覆すことは、容易ではないことは火を見るよりも明らか。
そんな世界で生きることを強いられる僕たちは、アスファルトに咲く花を見つけるかのように、小さな幸せを探していくか、物事の捉え方を変えていくしかない気がしてる。
探しても求めても見つからないのが探し物。ならば、捉え方や解釈を変えていくしかない。
生きていく術とは、まさにそういうことなのかも知れない。
感情を知ったあの日。
心が生きているから、感情を知ることができた。
言葉を知ったあの日。
学習能力があるから、言葉を知ることができた。
生きた心も学習能力も工夫する力も、その一つ一つが人の持つ素晴らしい賜物。
弱さを補えるほどに、人には様々な能力が備わっている。
昔誰かが、人は考える葦であると言葉を残した。
細く弱い植物である葦に例えたのは、その言葉通り弱さをも補える知性があることを伝えたかったのではないだろうか。
人は弱い。
でもそれでいい。
人は考え生み出すことができる。
人は相手を慈しむ心がある。
人は壁を乗り越える力がある。
そして何よりも助け合い束になって動くことができる。
誰も殺してはいけない。
人を殺してはいけない。
殺されるようなこともしてはいけない。
心を清く、相手を思いやり、誰かを愛し、そうして自分自身が花になればいいのだ。
その花を見つけた人もまた花となり、皆で咲き誇ればいいのだ。
全ては繋がっているのだから。
そこからまた繋がっていくのだから。

う~む、内容だけに堅くなるよね~笑
ホント人間て複雑に創られて、面倒な運命を背負われているなぁと思いました笑

最後まで読んで頂き、ありがとうございましたm(_ _)m
























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