ミセス・ハリスは「捨てない」し「貰わない」と思う
映画『ミセス・ハリス、パリへ行く』を観ました。原作はポール・ギャリコの『ハリスおばさんパリへ行く』です。素敵な部分もたくさんあったけれど、どうしても納得できない部分があって、備忘かつもやもやした気持ちの消化という矛盾した気持ちで記しておきます。
映画と原作の結末までネタバレするので、原作未読、映画未視聴の方は回れ右! でお願いします。
さて、映画の基本的な流れは原作と変わりありません。
クリスチャンディオールのドレスに魅せられたロンドンの家政婦ハリスがパリへ向かう!いくつになっても夢をあきらめないハリスの冒険が周囲の人たちを巻き込んで、とびきり素敵な奇跡を起こす。(公式サイトのIntroductionより引用)
主人公ミセス・ハリスは原作より品良く、繊細に描かれています。映画ならでは素敵なシーンや、原作を上手く膨らませた部分なども沢山あり、良い感じに進んでいきます。
マダム・コルベールやシャサニュ侯爵は、原作からずいぶん歪められてしまって、そこは本当に残念でしたけれど……全体として素敵な映画化と思っていました。最後の15分までは。そこからの流れに、ちょっと心が乱れています。
なんやかんやあって、ミセス・ハリスはディオールのドレスを手に入れ帰国します。そのドレスを、顧客の一人であるミスペンローズに貸してあげると、焼け焦げをつけられてしまった。ミセス・ハリスは失意で呆然自失。というところまでは映画も原作も同じです。
ここからの流れが大きく違っていて
【原作】
部屋に籠って泣いていると空港速達で山のような包みが届く。それは、パリで出会った人々からハリスおばさんの帰国を祝って送られた花だった。薔薇、白百合、カーネーション、グラジオラス、ゼラニウム。花には思い出を懐かしみ、愛情を分かち合うカードが添えられていて、ハリスおばさんは出会った友を思い出す。そして思うのだ。
ドレスの痛んだ箇所を修理できなことはないかもしれない。けれど
「修理をしても、それは、もとどおりにはならない。けっして、もとと同じにはならないのだ。そしてそのことは、ハリスおばさん自身にしても同じだった。ハリスおばさんは、ドレスを買ったというよりも、むしろ、冒険と一つの貴重な体験を買ったのだった。そしてそれこそ、生涯失われることのないものだ。かの女は、この後ふたたび、自分が孤独で、かたすみに生きている人間であるという感じにとらわれることはないだろう」(『ハリスおばさんパリへ行く p198』)
勇気を出して外国へ出かけたハリスおばさんは、そこに暮らす人たちも自分と同じく、人間的な愛情と理解を人生を送るしるべにし、力にしていること、その人たちが自分を愛してくれていることを感じたのだった。
だからハリスおばさんは、傷んだドレスをそのまま保存しておくことを選んだ。
「ひとりのおばさんに愛情と思いやりをいだいて、一針一針をいそいでくれたあの人たちとちがう人の手が、二度とこのドレスにふれてはならない。(p199)」という想いを持って。
【映画】
ミセス・ハリスは焼け焦げたドレス(緑)を川に投げ捨てる。焼け焦げたドレスのことは新聞記事にもなる。泣き暮らしていると花束と大きな包みが届く。包みの中味はディオールのドレスだった。サロンでミセス・ハリスが一番気に入っていた注文しようとしたがアバロン夫人に横取りされたNo89「誘惑」という赤いドレス。アバロン夫人の夫が汚職で逮捕され、夫人はドレスの代金を払えなくなった。そこで、ミセス・ハリスのサイズに直した物が贈られてきたのだ。ミセス・ハリスはドレスを身にまといパーティーに出かける。
(え、ちょっとあり得ない)と私が思ったのは、第一にミセス・ハリスは焼け焦げたドレスを捨てない! ということ。映画ではディオールの裁縫室を案内してもらい「ここは天国?」と憧れ、ボタン付けをさせてもらったミセス・ハリスはドレスの製作にかかわる全ての人に敬意を払っていた筈です。それを川に捨てるなんて、考えられません。
そして新しいドレスを、あっさり受け取るのも違和感がありました。ミセス・ハリスは自分の力で生活し、辛抱強く(原作では2年半)お金を貯めて、ディオールのドレスを買ったのです。それは彼女の矜持であった筈。ミセス・ハリスは500ポンドもするドレスをぽんっと贈られて「ラッキー!」と喜ぶ人でしょうか? ディオールで働く人たちも、つましい生活をしているミセス・ハリスがお金を貯めてドレスを買いに来たことに感動していたのに。
公式サイトのIntroductionにあった「とびきり素敵な奇跡」とは、焼けてしまったドレスは所謂「次点」、もとから欲しかった運命のドレスが無料で手に入ってハッピーエンドということ? せめて、ミセス・ハリスが「これから一生かかっても2着目のドレスの代金は払う」という意思表示をする展開であったなら。
最後にドレスを纏って踊るのは良いけれど、赤いドレスを着て賞賛される時、捨ててしまった緑のドレスのことは考えないのだろうか? などなど、気になって仕方がありません。
【そこで、記憶改竄】
原作のままでは映画として盛り上がりに欠けるのかもしれません。だったらいっそのこと、もっとドラマチックな方向に持って行って欲しかった。ともかく、ミセス・ハリスは焼け焦げたドレスを捨てない(少なくとも気持ちの上では)し、新しいドレスをただで貰わない。ということで、記憶を改ざんしました!
ミセス・ハリスは焼け焦げた緑のドレスを川に捨ててしまうが、直後にディオールで働く人たちやマダム・コルベールを思い出し、「なんということを!」と正気に戻る。冬の川に飛び込んでドレスを探そうとする。もちろん見つからないし、周囲に引き戻される。風邪をひいてしまい寝込む。体も心もボロボロの所に、花とディオールからの包みが届く。
包みの中味は、修繕された緑色のドレス!
ミセス・ハリスの仲間たちが何日もかかって川からドレスを探し出し、とびきりの腕を持つ洗濯屋が綺麗にしてアイロンをかけ、何人もの手から手へと渡ってディオールの店に届けられる。職人の手によって繕われたドレスには、それでも修理した跡は残った。
ミセス・ハリスは傷跡も含めて自分のドレスを愛し、誇らしく思う。